近所のお宅の 「 くちなしの花 」
※ 井草晋一牧師による 礼拝メッセージをもとにして
※ ヤコブの手紙 2章 14 ~ 26節
● 「 自分には 信仰があると言っても、その人に 行いがないなら、
何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、その人を救うことが
出来るでしょうか? 」
ヤコブは、私たちに 問いかけます。
あなたの信仰は、本当の信仰ですか。
神さまが 願っておられるような信仰ですか。
役に立たないもの ・ 無益なもの ・ 死んだものでは ありませんか。
● 私たちは、神の恵みにより、信仰によって救われました。
私たちの行いによって ではなく、神の賜物でした。
行いによるものでは ありませんでした。
( エペソ人への手紙 2章 8 ~ 9節 )
これが、私たちの信仰の出発でした。
救いのためには、行いは無関係ですが、
「 神の作品 ・ 神の子ども 」 とされた私たちは、神が 良いと思われる行いをするために、イエス ・ キリストにあって 造り変えられた者です。
私たちが、罪の行いに歩むのではなく、神の み心にかなった良い
行いに歩むようにと、神の家族として 受け入れてくださったのでした。
● ですから、 “ 良い行いが伴わない信仰 ” などというのは、本来の信仰ではありません。
そのような信仰は、信仰とは言えず、その人を救うことは出来ませんし、死んだもので、何の役にも立ちません。
“ 信仰に伴う行い ” の 第一のことは、 “ 愛 ” の実践です。
心を尽くし ・ 思いを尽くし ・ 力を尽くして、主なる神さまを愛すること。
自分を愛するように、隣り人 ・ 身近にいる人たちを愛すること。
私たちの信仰は、そのような 行いと共に働いて、
信仰は 行いによって、一歩一歩 成熟していき、完成に近づいていきます。
● あなたの兄弟か 姉妹に、着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているような時に、その人たちに対して、
「 安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい。」
と言っても、言葉や口先だけで、体に必要な物を与えなければ、何の
役に立つでしょうか。
私たちは、示される愛 ・ 私たちに出来る愛を 実践していく者でありたいと思います。
信仰は、行いと共に働き、行いによって 全うされていきます。
日々の、私たちの生き方が 問われています。
愛の行いを伴った、本当の信仰は、まわりの人たちに 希望を与え、
どんどん 広がっていきます。
私たちを、信仰義認 ➡ 聖化 ➡ 栄化 への道を歩ませ、天の御国 ( 天国 ) へと続いていく 祝福の道を 歩んでいくことになるのです。
ハレルヤ !
「 アベリア 」 の 生け垣
ブラックベリー ( これから 黒く熟していきます。)
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