● 「 熊谷元直 」 という人を ご存知ですか?
萩の殉教者 ・ メルキオール 熊谷元直。
2007年に、 【 188名殉教者 】 の一人として 列福されています。
実は、私たち夫婦、50年前、結婚して間もない頃に、萩を訪れ 一泊したのですが、残念ながら 熊谷元直 のことは、そういう すばらしい方がおられたんだ ━━ ということさえ知らずに、過ごしてしまいました。
この時の旅の一番の目的は、山口の 「 サビエル記念聖堂 」 を訪ねることでした。
1991年に 全焼してしまう前の サビエル聖堂で、ザビエルの キリスト教宣教の原点を訪ねる 貴重な旅となったのでしたが ・・・・・・・
山口に続いて訪れ、時間をかけて すごした 萩の思い出の中に、
メルキオール 熊谷元直 は ありません。
もう一度、出かけて行かなくては なりませんネ!
● 中国地方全域を支配するようになった 毛利氏の家臣として、その
勢力拡大に尽力したのが、広島 ・ 三入 ( みいり ) の熊谷氏でした。
熊谷元直も、毛利輝元に従って 数々の戦いに参加。
1587年の 九州 ・ 島津攻めの最中、シメオン黒田孝高 ( よしたか ) に出会い、その影響を受けて、中津で ゴメス神父によって洗礼を受けました。
主君に対する家臣として、忠誠と従順。幼少から徹底して、主君に
忠実に従ってきた武将でした。
毛利輝元が、関ヶ原の戦いの後、大減封され、萩に退いて、築城。
熊谷元直も、毛利氏に忠誠を尽くし、従いました。
● 毛利輝元は、側近の僧 承兌 ( しょうたい ) の働きかけを受けて、
キリシタン弾圧を始め、山口の教会を閉鎖し、宣教師を追い出します。
熊谷元直にも、何度も使者を遣わし、棄教を促しますが、元直の堅い
信仰の決意を変えることは出来ませんでした。
萩城の石垣建設の際に起こった 「 五郎太石事件 」 ( 石垣の間に詰める石の 盗難事件 ) をきっかけに、
普請役で、キリシタンだった 熊谷元直と 天野元信の二人の責任を問う形で、厳しく処断されていきました。
元直は、 “ 自分が まったく 無実であること ” “ 処罰が、自分が
キリシタンであるためであること ” を知っていましたので、
聖画の前にひざまずきながら、神にすべてを委ね、祈りのうちに、首をはねられていったのでした。
● 考えてみれば、キリシタン武将たちほど、
主君に対して、忠実で ・ 誠実で ・ 生命さえ惜しまないで ・ 滅私奉公して仕え ・ 大切な働きをしていくような家臣はいない ━ と思われるのですが ・・・・・・・
彼らが、 “ キリシタンである ” という理由だけで、
地位を退け ・ 生命までも奪ってしまう ━ ということほど、モッタイナイ話はなさそうです。
キリシタン達は、殉教を避けようとはしませんが、
権力者にとって、キリシタン達を退け ・ 生命を奪った後に残る、
自分のまわりを取り巻く者たちは、どんな連中かと考えてみますと
・・・・・・・ 心底 信頼出来ない ・ あやしい連中ばかりなのではないの
でしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/熊谷元直
http://www.pauline.or.jp/kirishitanland/20120116_hagijyunnkyou.php
※ こちらも < おすすめ > 【 山口サビエル記念聖堂 】
https://ja.wikipedia.org/wiki/山口サビエル記念聖堂
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