これを書いているのはR3.3.17(水)の午後、春の彼岸入りの日ですな。

 

自分の人生も第3コーナーを回った頃となり、少々思い立ったことがありましたもので、鬼籍に入ってもう25年にもなる父親のことを、ここに少し記しておこうと思ったわけです。

 

以前にもここのブログで何回か(こことか、こことか、ここ)、亡父のエピソードを書いたことがあるんだが、平均寿命よりも随分と早く亡くなったもので、うちの子供らの記憶にはまったくもってひとかけらも残っておりません。

 

最初に生まれた長女が0歳のときに他界しておりますので、それは仕方がありませんね。

当時は家内もまだ25歳でしたからね。

 

亡父は性格の優しい人でしたが、残念ながら経済力はかなり非力な人でありました。

 

それでも、メーターの検針とか集金の仕事で、京都の町中を自分の足で歩いて回っていた人でしたから、道や寺社仏閣にはかなり詳しくて、(お金のあまりかからない)寺社に、よく連れて行ってくれたものです。

 

休日には釣竿を持って近くの川に歩いて出かけ、朝から夕方までカワムツを釣ったりしたものです(タダですから)

 

当時の釣竿は木製を5本繋いで長くして使うもので、1・3・5段目と2・4段目を、中に格納する形で2本に分かれているものでしたな。

 

 これ1本で、1日ゴキゲンだった

 

勿論、お金持ち用には5段に伸びて折れる心配もない、グラス・ロッドっていうのもありましたよ。

 

 マズくて食用には不向きらしい

 

このオッサンが子供の頃は、両親に物をねだるという記憶は絶えて無かったんだが、ひかり号の玩具とか、双眼鏡とか、父親が買ってくれた後の夫婦喧嘩を鮮やかに記憶しておりますもので、そりゃそないなふうに、なっちゃいますわな。

 

 喧嘩の日の献立まで覚えてたりする

 

お人好しだった父親の健康状態が急に悪くなった発端になったのは、まあ、たまたまですが若い女性の運転する原付との衝突による足の骨折でしたな。

 

眠れないくらいに痛かったらしく、朝昼夕に鎮痛剤飲んでたら、ある日突然、大量吐血してしまいました。

 

原因は胃潰瘍で、入院のうえ輸血を受けることになったんだが、この時の検査で、肝硬変と胆管癌が判明したわけです。

 

その後は坂を転げるように悪化する一方で、数年後には高度の黄疸で全身緑色になり、意識もおかしくなって他界しております。

 

だいぶ悪くなった頃、見舞いに行った日に、

  「ハチ、来てくれたんか・・・」

  「それ猫の名前やんか・・・」

それが最後の会話でしたな。

 

その後、姉が他界し(10年過ぎてる・・・)母親も他界し(8年近い・・・)、4~5年前の彼岸か、或いはお盆だったか、墓参りに行った自分に声をかける老婦人がありました。

  「もしかして〇〇さん?」

  「それ、父親の名前ですわ」

  「そやなぁ!そんな若いはず無いもんなぁ!」

 

聞いてみると、三姉妹の長女だった祖母の、妹の子孫にあたる人でした。

言葉も話せない頃の小さな自分を見たことがある、とか言います。

 

オッサンになると顔が親に似てくる、ということなのでしょうね。