センチメンタル・ジャーニー | Fuck and Shit

Fuck and Shit

朝起きて、顔をあらって、ご飯を食べて、仕事して、お風呂につかって、次の日のためにベッドで眠る。

そんな日常が、うれしかったり、さみしかったり、悲しかったり、退屈だったり、愛おしかったり。

今日の夜から雪が降り、明日は吹雪になるかもしれないと、容赦なく天気予報は告げる。何度天気予報を見ても、その予報は変わらなかった。


昨日、顔見知りがやってるなじみのお店で、同級生とご飯を食べてると、いつのまにか、母から着信が4件も入っていた。



何かあったの?と急いで電話をかけなおすと、「あんた、あさって雪降るみたいだから、明日帰んなさい!」とキッパリ告げられた。


がーん あと一日たっぷり残ってたのに…。


心底がっくりくる。この帰省を、あたしが、どれだけ楽しみにしていたことか。冬将軍はさすがに残酷だ。


「ごめん、明日帰らなきゃいけなくなったから、早めに帰るね。」と友達につげ、そして家の前まで送ってもらい、

急いで帰ってきた様子なんて、できるだけ見せないように「ただいま~」と茶の間に入ると、母は風呂に入るところだった。


0時を回る、少し前だった。


「早かったね」と母は一言だけ言って、風呂に向かった。



あたしは誰もいない茶の間に大の字に寝転がり、天井からぶら下がる見慣れた形の5つの電気を見つめて、ぽかぽかとあったかい床暖房を背中に感じて、シンシンと音を立てるストーブの音と、風呂場からの水の音をを聞いていた。


イブ(犬の名前)が、ちゃかちゃかと音を立ててあたしの隣にやってきて、フンフンとあたしのわき腹の辺りの匂いを嗅いでいた。



あーぁ 明日、横浜に帰るのかぁ… そう思った。



そう思ったら、どうしてか、とてつもない悲しさと寂しさが襲ってきて、少し泣いた。


25歳にもなって、ホームにいるのに、ホームシック。涙がにじむと、少し笑えた。





北海道の田舎の冬は、ものすごく厳しい。


住んでいるときは当たり前すぎて、そう実感したことはなかったけど、離れてみると、驚くべきほどに厳しい。


寒さはマジで真剣にすべてのものが凍りつくすような寒さだし、雪も無遠慮にドカドカ降る。


雪が降れば道は凍るし、道が凍れば当然すべる。


人もすべるけど、車もすべる。すべって、転んで、事故っても、病院も少ない。


都会の一時間の本数くらいしか、一日バスも通らないし。


土地はムダにあるから、広範囲の雪かきもしなきゃいけないし、うちは駐車場も雪かきをしなければならないし、ロードヒーティングなんて洒落たものは入ってないし、一体ぜんたい、独居の老人たちは、どうやって暮らしているのかと真剣に疑問に思う。冬眠?いや、冗談じゃなく。






家は父親がいない。


小さい頃はもちろんいたけど、高校2年のときに、父親と呼んでいた人が家を出て行ってから、母とずっと2人で暮らしていた。


血のちゃんとつながった兄が一人いるけど、彼が18のとき、父親が家を出て行く前に、アメリカに行ってしまった。もう10年くらい前のことで、彼は今もアメリカで暮らしている。



兄が出て行って、父が出て行って、そして3匹買っていた犬が老衰でバタバタ死んでいっても、あたしは母と2人で暮らしていた。


田舎で生まれて、田舎を出ずにぬくぬく育ち、そして実家から車で20分くらいの距離の大学に通ってた。



上京を決めたのは、大学4年の春だったと思う。


「あたし、東京の会社、受けようと思う。」


いつもの食卓テーブルで、母が作ったご飯をもぐもぐ食べながら、あたしは少しだけ下を向いて、そう言った。


「ママは、いいよ。あんたの、好きにしなさい。」


母は、実になんでもない様子で、そのまま口に入ってたご飯を飲み込んで、また続きを食べてた。






大抵のことに対して母は「あんたの好きにしなさい。」と言った。



だから「だめ」と言われたことに対しては、あんまり逆らわなかった。ホントにダメなんだって思ったから。





北海道で生まれ、北海道で育ち、北海道の大学を卒業したら、たいていの道産子は、北海道で就職を決める。特に女の子は。


北海道という土地は、実に閉鎖的だ。


なんせ、空の交通機関以外は、青函トンネルしか、他の日本とつながってない。


四国や九州とはわけが違う。沖縄レベルで日本と離れている。


北海道に住む8割の人々は、他県がどこにあって、何が名産で、風習はどうで、県から県へ移動するのが、どのくらいの時間を要するのかなんて、全然知らない。


道産子にとっては、北海道が日本だから、ほかはあんまり関係ないのだ。



22歳まで正真正銘コテコテの道産子だったあたしが、なんで母一人を置いてけぼりにして、TOKYOなんつー都に出ようと思ったかってゆうと、別に、大都会TOKYOで、一旗上げたい!なんて夢見てきたわけじゃ、ちっともない。


あたしはやりたい仕事がもう明確に決まっていたし、それは北海道だって、沖縄だって、香川だって、岡山だって、長崎だって、富山だって、青森だって、新潟だって、東京だって、同じだった。




ただ、色々なことが知りたかった。





そしてあたしは、横浜で暮らして、そろそろ、まる三年目になる。




「いつか」は戻って母の近くで暮らそうと思っていた飛び出した北海道は、どんどんと遠ざかって、羽田からの帰り道ベイブリッジから横浜の夜景が見えると、ホッとするほどに、馴染んでしまった。


大好きだと思っていた北海道の実家は、何も変わらないんだけど、本当に何も変わっていないことにびっくりするんだけど、けれど、確かに何かが変わってしまっていて、6畳のあたしの部屋も、客間も、廊下も、茶の間も、どこか他人顔をしていた。




いろんなことを考えて、自分で決めて、ここにきたつもりだった。


けど、何も、考えてなかったんじゃないかと、茶の間で寝転がりながら、そう思った。





くそっ どうするべか この先… と思ってぼんやりと電気を見つめていると、母が風呂から上がってきた。



「あんたもビールのむぅ?」とサッポロビールを片手に嬉しそうに聞く母。「いらん!」と言って、つまみの焼き鳥だけをむさぼり食べた。




2時頃まで、母と、母の恋愛について、語って、疲れて眠った。



今日は「あさーーーーーーーー!おきなさーーーーーーーーーーーい!!!」と、高校生のときと、嫌になるくらい変わらない大声で起こされて、もそもそと無言で朝ごはんを食べるあたしに、「また、ゴールデン・ウィークにお休みもらって帰ってこればいいじゃないの。」と励ましてくれた。


どうして落ち込んでることが分かったんだ?




家から空港までは、久しぶりに会った旧友が送ってくれてくれた。


誰もいなくなった大きな家を背に、母は、イブ(犬の名前)を抱きながら、「気をつけてね。仕事、がんばってね。いってらっしゃい。」と笑っていった。




いってらっしゃい か。




大人になると、わからなくなっていくことと、わかっていくことが、どんどんと増える。




どんな気持ちで、あたしのことを見送ってくれているのかな なんて思いながら、あたしは「また、帰ってくるわ。」と言って、車のドアを閉めた。