基本的に、命を助けていただいたことに感謝して機嫌良く生きているのですが、今日は仕事に出たらまたドタキャンされ、お天気も悪くて頭痛も酷く、家に辿り着いた時に玄関先で夏に亡くなった老犬の名前を呼びながら号泣してしまいました。


声を出してしばらく泣いたら少しスッキリしました。


シャントの傷跡がいつまでも痛くて、痛くて痛くて、つい痛み止めを飲んでしまって、、、


もうこれ以上良くはならないのかなぁ、、、

クリスマスの日でした。

後から考えたら先生はご家庭のご用などて予定を空けておられたのではないかな、、と思ったけれど、奇跡的に引き受けていただいての手術でした。


多分前夜の食事から制限があったと思うのですが、この頃から食事もとれなくなっていたのかな。記憶がないです。


8年前の手術跡を開いて手術をするという事で髪の毛も剃ったと思うのですか、こちらも記憶なし。


家族に見送られて手術室に運ばれて、麻酔をかける前に担当の先生や看護師さんの挨拶とか少し会話もしたと思いますがぼんやりと手術室の景色を覚えているだけです。


先生方のユニフォームがモーヴ色というか華やかなローズ色で、キラキラしていました。手術の時はその華やかな色のユニフォームみたいでした。


数を数えてくださいと言われて数え始めて程なく麻酔が効いて、次に目覚めた時は無事に手術は終わっていました。


義姉の記録によると、手術室に入ってから16〜17時間かかったみたいです。


先生からは術後の説明も家族はしていただいたので、本当に一日仕事。真夜中に帰宅されたみたいです。(後日看護婦さんとの雑談で知りました。)


手術前も後も、私のメンタルは最悪で、2週間で退院できるはずがもう二ヶ月になり、良くなる気配もなく、かなり自暴自棄でした。


自分の身体を信じられないというか、どうせもう良くならない、という思いが染み付いていたのです。

シャント手術がうまく行かずに毎週やり直した挙句に5回目の全身麻酔の手術。血液検査と点滴の針を刺し続けて両腕は針の跡と液漏れの跡で看護師さん泣かせの腕。


先生や看護師さん達の、『頑張りましょう!』のお声がけにも、『頑張りたくないです。もう頑張れないです。』と答えちゃうやる気も治す気もない態度の悪い患者にも、『あ、頑張るのは僕たちなんで、soraさんはそこに居てくれるだけで良いですよ。』と答えてくださる先生。

知識や技術はもちろん体力も精神力も必要で、お医者様というお仕事は本当に本当に大変なものだと思います。


感謝してもしきれません。


T病院に転院してからのことを書いてみます。


元々入院していた病院からは民間の救急車で移動。

娘が同乗してくれて、夫は後から車で追っかけてくる感じでした。

救急車に乗ったのはなんとなく覚えているけれどそのあとは眠っていたのか、次に気がついた時には病室でした。

そのあと恐らくCT,MRI,アンギオ等々行ったはずなのですが記憶は曖昧。検査室に移動したような気もする感じ、、、

病室でウトウトしていたらお隣が眼科で、逆さまつげの手術について相談している方の話を聞きながら、逆さまつげの手術はすぐ済むのかなぁと思っている夢を見たりしていました。

術前説明も参加しようとしましたが、吐き気が酷すぎてミーティングルームまで行ったもののすぐに病室に舞い戻り、家族が説明を聞くことに。


この時見せられた画像では脳幹はくの字に曲がり、小脳を触る可能性もあること、術後傷が回復したらリハビリ病院に転院して数ヶ月過ごすことなどの説明もあったらしいですが、知る由も無く。家族的には歩けなくなるかもとか会話ができなくなるかもとかかなり覚悟は決めていたらしいです。


前にも書きましたが、転院前日くらいにお見舞いに来てくれた兄は、来週はお葬式をあげないとダメなんかな、と思ったらしい。義姉は、でも、転院して手術が受けられると聞いて、これは助かるかも!と思ったと話してくれました。助かる可能性の無い患者は引き受けないでしょ?と。私はもう少し気軽に考えていたのですが、状態は自覚しているよりかなり悪かったみたいです。


入院中の食事の写真を撮り続けていたのですが、12月20日が最後で、次は23日の点滴跡だらけの写真と送られてきたわんこの写真。次が27日のやはり子供達とわんこの写真でした。


恐らく20日以降は食事もほとんどとってなかったのかな、、、とにかく吐き気との闘いで、側で見ていた娘が、ここまで苦しまなくてはいけないのか、と悩んだ程。検査室の待合室でも吐き気が止まらず他の患者さんたちもドン引きしてたようで申し訳なかったです🙏私自身は朧げな記憶しかなく、、、


でもところどころ意識がはっきりしている時があり、それが普通の状態だと思っていたから、本人的には割としっかりしているつもりでした💦


転院前の病院は面会は家族のみ、3人まで、30分以内の制約があったのですが、転院先は規制は無く、もちろん発熱等はあればダメですが、そうでなければデイルームで面会が可能だったので、お友達が2組面会に来てくれました。


この時のことはよく覚えていて、1組は大人になってから仲良くなったお友達。1人は大病を克服して今は元気に頑張っていますが、手術入院経験ありなので最初は入院中は会いたく無いでしょ、とLINEでの会話だったのですが、一緒に旅行にも行く中だし、親戚のお姉さんだと思って逢いに行って良い?と会いに来てくれました。

嬉しかった!

本当は11月に一泊で旅行に行くはずだったし、10月末もランチの約束もしてたのに体調悪くてキャンセルして、旅行はもちろんキャンセルで申し訳なかったけれど、会えてよかった😭

10月の終わりに会った時に、しんどそうで心配してたらこんなことになって、、と言われたのでそばで見てたらやっぱりちょっとおかしかったのかも、、、

もう1人は学生時代の友人で今は関西に住んでいる友人が仕事で上京する時にご飯しない?と誘ってくれるのですが、丁度転院した頃に連絡をくれて、自分の記憶では今T病院に入院してる、とだけ返信したつもりが、その後に続けて、死にたい、と送ったみたいで。

彼女も心配して会いに来てくれました。

一旦来て、検査が続いて数時間は面会無理です、と言われてまた出直してくれたみたいでした。申し訳なかったけれど、有り難かったです。


多分この翌日に手術だったのかな、、、


私自身と周りの人たちとの間の悲壮感には恐らくかなり差があったと思います。

私が1番楽観的というか深刻な事態を理解していなかったんだと思います。