シャント手術の後は翌日から食事が再開されて、ベッドの上でしたが体を起こして座って食べることができ、お手洗いも割と早くから点滴棒を持ってお手洗いに行けていたのですが、残腫瘍の切除手術の後は三日ほど本当に寝たきりで、リハビリも前回は手術翌日に両脇をリハビリ先生方が抱えてくださってとにかく足踏み10回!って言った感じだったのですが、今回は手と足のマッサージをしていただき、食事もほとんど食べずに片目だけキョロキョロでした。

 

食事の写真が記録され始めたのが12月30日だったので、多分この日あたりから車椅子に移動させていただいたのかな、、と思います。

娘とのLINEを見返せばもう少しきちんと思い出せると思うけれど、遡るのが大変なのと、思い出すのが少ししんどいのがあります。

 

4人部屋の窓側のコーナーをいただいていたので、外が見られて少し心が晴れました。

 

お手洗いも洗顔も連れて行っていただかないと無理だったので、特に夕食の後の服薬後は1時間くらい車椅子に座って、本を読んだりしてなるべく起き上がっておいて、その後洗顔、歯磨き→お手洗いに移動→お手洗いにお迎えでベッドに移動、としていました。夜勤タイムは看護師さんの人数も減るので、なるべくお手を煩わせないように、とまで気が回るようになったのは、大分回復したのだと思います。

 

ベッドから車椅子の移動も少しスムーズにできるようになってきました。

とにかく転倒を一番心配されていたので、一人で動くのはまだ厳禁でした。

 

同部屋はおばあちゃま達で、酷い便秘に苦しんで夜中にうんうん唸ってしまう方、普段静かなんだけれど、食事の介助をしてもらう時に看護師さんや看護助手さんを叩く方、(痛いです、叩かないでください、っていつも聞こえてた涙)、それから認知が少し入っておられて、始終ナースコールを押し、すぐに来てもらえないと何かでカンカンベッドの柵を叩き、助けてください、助けてください!と叫び続ける方、、、、、生きるのも死ぬのも大変なのです。

 

年末28日くらいに多くの患者さんが退院していかれ、予定入院の方もおられず、入院患者は3分の1くらいに減った時期でした。

 

ここから3が日明けるまでは入院患者の数も少なく、食事もあっつあつで提供され、ちょっと嬉しかったです。

 

手術後目が覚めたのはICUだったと思います。

まるで夢を見ているようで、SF映画のワンシーンみたいに渡り廊下みたいなので繋がっている真ん中で自分の寝ているベッドが浮いているようで、その渡り廊下の向こうから看護師さんがいらして、処置をして、またその廊下を渡っていく、という感じで、私はさしずめ別の星の生物か、珍しい病気になってしまった何かか、、、

とにかく手術が終わった後の患者というよりは、珍しい検体になった気分でした。


家族は窓ガラスの向こうから様子を伺っている気配、、、


天井がまた変わっていて、では行きますよ〜と言われてベッドごとお散歩のようでしたが、天井の模様だけがスクリーンみたいに変わっていただけかもしれません。プラネタリウムのような綺麗な星空が映し出されて、元気だったらわあ、綺麗!となったと思うのですが、眩しくて、その眩しさが辛くて目を閉じてしまう、、、といった感じでした。


今回は顔面麻痺がかなり強く出たので、右目は閉じられず、カバーを付けてくださっていました。


首から上は全く動かず、左目だけがキョロキョロしていたと思います。


そして今回はせん妄がひどく、とにかくここから逃げ出さなくちゃだめだ!ここにいてはダメだ!の強迫観念が凄く、亡くなった母や、娘の名前を叫んでいました。

ご迷惑をおかけしました。不穏が落ち着かないのでということで病室に戻るのが一日延びました。


この辺り、記憶がかなり曖昧で、どのくらいの時間ICUにいてから一般病棟に戻ってきたのかが全くわかりません。片目は開くけれど(右目は開きっぱなしなのでガードされていました)あとはほとんど身動きはできず、食事なども点滴だけだったのかな、、、


リハビリ先生が来てくださいましたが手と足先のマッサージをしてくださったかな、、、


口をきくのもほとんど無理で、微かにはい、いいえ、と答えるくらいでした。


1週間くらいその調子だった体感だけれど、実際は2〜3日だったみたいです。


面会は面会用の個室にベッド毎移動していただいてました。

身動きが取れないのが本当に辛くて、痛み止めなどはNPの方が調整してくださって多めに点滴を入れてくださっていたので激痛とかは無かったのですが、とにかく動けない。何かに抑えつけられいる恐怖感がすごくて、家に帰りたくて仕方なくて、もう全部終わりにしたいと強く願ってました。


精神科チームも派遣され、何か具体的なイメージや数字は思い浮かびますか?と聞かれました。それは何も思い浮かばなかったけれど、ひたすら亡くなった母に迎えに来て欲しいと祈り続けていました。


目が覚めると、ベッドに対して自分が垂直に浮いていて、窓枠も縦に見えて、なんだかまずい気がして目を閉じて、しばらくじっとして目を開けると体が少し斜めになっていて、それを何回か繰り返したらやっとベッドに寝ていた、というのを何回か繰り返しました。私は脳の手術の後遺症かなと思っていたのですが、後から家族や友人にその話をすると、それは魂が身体から離れそうだったんじゃないの?と言われました。どうだったんだろう、、、、、


手が少し動くようになったら酸素マスクも外しちゃったり、もう本当に終わりにしたくて、何も頑張りたくなくて、呼吸も乱れて、先生に、20秒かけてゆっくり息を吐いて、それから吸う、みたいな指導もしていただいたり、、、精神状態は最悪で、手のかかる患者だったと思います。ごめんなさい。


術後数日はそんな感じでした。


スマホが見られるようになったけれど、SNSはあまり見ない方がいいよ、って子供達に言われました。


まあ、見ちゃったけれど。


サイパンで研修していた整形外科の女医さんが、たくさんの頭の検体の前でピースサインをしていました。炎上してましたね。

私もどうせ検体みたいなものだよねって、ネガティヴに戻りそうになりました。



家族は毎日面会に来てくれて、頑張れママちゃん、と励ましてくれるけれど、もうママは頑張りたくないの、、、もう終わりにしたいのと呟くばかりで、とうとう娘が、「ママがあまりに辛そうだから、手術をお願いしたことを後悔している。」と呟きまして、、、、、



ここでやっと私の目が覚めました。



このままここで死んでしまっては、娘が一生後悔することになる。

とにかく一旦元気になって退院して、手術を受けさせてくれたから、そのおかげで元気になって退院できたよ、って言わないと、って。



2024年が暮れようとしていました

去年の今日、突然気持ち悪くなって出先で戻してしまって、翌日ガンマナイフを受けた病院でいつもの3カ月毎のMRIを受けた時に、いつもニコニコ優しい先生が、困った様な笑顔で今日1人で来たの?と。(いつも1人で行っていました)

水頭症になっています。脳神経外科の受診は必ずご家族と行くように、と。でもまだ余裕はあるからそんなに心配しなくても大丈夫と。


不安に思いながら仕事に行ったら、職場でまた戻しちゃって。


そこから悪夢の様な3ヶ月が始まったのでした。



一年経ったんだな、、、

早かったような気もする。



今でもふと病室にいた時の、なんとも言えない気持ちを思い出します。


辛かったんだけれど、でも病院の皆さん、親切にしてくださったな。


写真は今日のお月様🌙✨


私、お月様が大好きなのですが、入院中は見られなくて。時々お友達が写真を送ってくれました🌙✨