下書きに入れたまま投稿を忘れていました。

記録のために投稿しますね。


主治医の先生は大みそかの日も元旦も様子を見に来てくださいました。

 

リハビリのPTさんも来てくださって、手の指の運動をしました。STさんは帰省されるということで、プリントをたくさん置いていってくださいました。

クロスワードパズルのようなものや、地図やその土地の名産を答えるものなど、毎日数枚ずつやりました。

 

実は手術の前に家族には、状態によっては小脳を触る可能性もある、ということや、手術の傷が治ったらリハビリ病院に転院して数か月そこで過ごすと言ったことが説明されていたらしいです。

小脳は触らずに無事に手術は終わり、そしてリハビリ病院への転院は、義姉が、すでに2週間の予定が伸びに伸びてる上に、このまままたリハビリ病院に入院ではsoraちゃんのメンタルが持たないと思う、といってくれて、家族としては転院せずに帰宅の心づもり、病院としては転院させる方針だったと思います。

 

家族は毎日お見舞いに来てくれたのですが、夫が仕事の忘年会の日に娘だけ来てくれて、その日に初めてベッドで移動ではなく車いすでデイルームに移動したら、その写真を見て夫は号泣したらしく。。。

 

本人が一番状況を理解していなくて暢気だったかもしれません。家族は命は助かっても運動障害や記憶障害の可能性もあると覚悟していたようです。

ずっと寝た切りなのかとか、不安はいろいろあったと思います。

 

とりあえずホッとしたのか夫はこの後発熱して、面会はしばらくお休みになりました。

 

お正月の二日に、主治医の先生が、大分状態も落ち着いてきたし、このままリハビリを頑張れればリハビリ病院に転院せず退院にしましょうか?とおっしゃってくださいました。4回シャント手術を繰り返しても全く良くなったように思えず、もう治らないんだと半ば諦めていた気持ちにやっと一筋の光が見えた気がしました。

 

この後お正月休みも終わり、PTの先生も戻ってこられて本格的なリハビリが始まりました。

 

管類も全て取れ、走り出したいような解放感!(実際は杖を突いて数メートルでよろよろでしたがw)

 

STの先生との記憶の確認や間違い探しのようなワーク、OTの先生とは医療用粘土を使った手の訓練やタオルや棒を使った上半身の運動、PTの先生とは杖を使った歩行訓練から始まり、壁や平行棒を使っての運動や、マットの上での運動、階段の上り下りなどの練習もしました。

 

1回30分のリハビリ×3回

3度の食事

食事後の歯磨き

家族と年が明けてからは親しい友人が面会に来てくれたのですが、1日の活動は基本的に以上。

 

たまに検査が入ったかな、、、

 

あとはNPさんとの面接や精神科チームの方との面接もありました。

 

実は私は目が悪く、入院中は眼鏡もめんどくさくてかけてないことも多く、つまり皆さんのお顔もぼんやりだし、お名前もわからず、、、主治医の先生のお名前もしばらくあやふやでした汗

 

STさんに毎回、ここはどこですか?と聞かれるのですが、それもしばらくは病院名が出てこず、、、都心の病院だとはわかっていたので、霞が関病院って言ったりね(そんな病院は無いです)。若いころから記憶力は良いほうで、人の名前も一回で覚えていたのに、歳のせいなのか、病気のせいなのか悩ましかったです。

 

 

 

 

 

 

病院で年末年始を迎えることになってしまったわけですが、お食事は少しでも気分が晴れる様に用意してくださっていました。

年越し蕎麦も食べられたし、御節料理も用意してくださっていました。お祝箸も!
お重の中の物が、少しずつ毎回出てくる感じで三が日楽しかったです。

鏡開きの日にはお汁粉が出ました。お餅の代わりにお麩だったし(老人率高めの病棟でお餅はハードル高いですね💦)、甘さも控えめでしたが、とっても嬉しかったなぁ、、、
世間とまだ繋がれている感じ?

調理のスタッフの方々ごちそうさまでした🙏

 

シャント手術の後は翌日から食事が再開されて、ベッドの上でしたが体を起こして座って食べることができ、お手洗いも割と早くから点滴棒を持ってお手洗いに行けていたのですが、残腫瘍の切除手術の後は三日ほど本当に寝たきりで、リハビリも前回は手術翌日に両脇をリハビリ先生方が抱えてくださってとにかく足踏み10回!って言った感じだったのですが、今回は手と足のマッサージをしていただき、食事もほとんど食べずに片目だけキョロキョロでした。

 

食事の写真が記録され始めたのが12月30日だったので、多分この日あたりから車椅子に移動させていただいたのかな、、と思います。

娘とのLINEを見返せばもう少しきちんと思い出せると思うけれど、遡るのが大変なのと、思い出すのが少ししんどいのがあります。

 

4人部屋の窓側のコーナーをいただいていたので、外が見られて少し心が晴れました。

 

お手洗いも洗顔も連れて行っていただかないと無理だったので、特に夕食の後の服薬後は1時間くらい車椅子に座って、本を読んだりしてなるべく起き上がっておいて、その後洗顔、歯磨き→お手洗いに移動→お手洗いにお迎えでベッドに移動、としていました。夜勤タイムは看護師さんの人数も減るので、なるべくお手を煩わせないように、とまで気が回るようになったのは、大分回復したのだと思います。

 

ベッドから車椅子の移動も少しスムーズにできるようになってきました。

とにかく転倒を一番心配されていたので、一人で動くのはまだ厳禁でした。

 

同部屋はおばあちゃま達で、酷い便秘に苦しんで夜中にうんうん唸ってしまう方、普段静かなんだけれど、食事の介助をしてもらう時に看護師さんや看護助手さんを叩く方、(痛いです、叩かないでください、っていつも聞こえてた涙)、それから認知が少し入っておられて、始終ナースコールを押し、すぐに来てもらえないと何かでカンカンベッドの柵を叩き、助けてください、助けてください!と叫び続ける方、、、、、生きるのも死ぬのも大変なのです。

 

年末28日くらいに多くの患者さんが退院していかれ、予定入院の方もおられず、入院患者は3分の1くらいに減った時期でした。

 

ここから3が日明けるまでは入院患者の数も少なく、食事もあっつあつで提供され、ちょっと嬉しかったです。