小5男子 今年度の行き渋り原因は給食みたい・・・(;_;) | なんてない日々

小5男子 今年度の行き渋り原因は給食みたい・・・(;_;)

こんにちは~

 

先日こちらの記事で

 

朝から大爆発の息子の癇癪

 
で、息子が朝からグズグズ癇癪を起こしたと書きましたが、
 
息子は「集団登校がイヤだから車で連れて行って」
 
という一点張りで、集団登校が一番のストレスなんだと思っていたんです。
 
 
 
まあ、昨年度も集団登校がイヤだとグズグズいう時期がありましたので、
 
いつものことだな、という感じ。
 
 
 
ところが、
 
 
昨日、とうとう
 
ぐすん「明日から学校休みたい」
 
と言い出しました。
 
 
 
今年度のクラスは仲良しばかりのクラスで、
 
すごくラッキーだと喜んでいたのに・・・悲しい
 
 
 
ひらめき「なんで?クラス替えラッキーだったって喜んでたじゃん音譜
先生も優しくていい先生だって。。」
 
 
えーん「先生ねぇ~・・・。優しくていい先生なんだけど・・・
給食はすごく厳しくて・・・。
嫌いな食べ物は少し減らすだけならいいけど、いっぱい減らすのはダメで、
完食するまで終われませんシステムなんだよえーんえーんえーん
 
僕がキノコとコンニャクが無理なの知ってて、
友達が『息子君、これだけは絶対無理なんです!先生!!』って頼んでくれたんだけど、
ダメだって言われて・・・
 
 
それで、絶対食べてって言われたから口に入れてモグモグしたんだけど、
えずいて戻しちゃって・・・。
 
みんなの前でそうなるのも、もうイヤだし、
そんなになっても、先生は『頑張って完食しよう!!』の一点張りで解ってくれないし・・・えーん
 
だったらもう、学校休むしかないじゃん。
 
無理なもんは無理だもん。」
 
 
 
 
息子は、たぶん感覚過敏で、
 
きのことコンニャクの食感が、
 
口の中でにゅるにゅるしたゴムを食べてるようで無理なんだそうで・・・。
 
 
 
他には誰にも迷惑はかけないけど、
 
着る洋服の肌触り、サイズのタグ、素材、襟があるかないか
 
などに拘りがあります。
 
 
 
給食についてはこれまでの先生はだいぶ寛容に接して下さっていたんだと思います。
 
 
 
実は、給食のこの問題は、
保育園の時にも色々とあり、
 
息子は給食の、厳しい教育にはトラウマを抱えています。
 
 
次の記事にもう、時効だと思い詳しく書きますが、
 
保育園で食育の虐待を受けていました。
 
 
息子がハッキリと内容を話したのは昨年のことですが、
 
色々と虐待を疑っていた私は、
 
給食とその他の指導について、園長を交えて話し合いをしたこともあったのです。
 
 
 
息子はその時のトラウマが蘇るということもあり、
 
給食、もう無理。
 
学校はもう行かないと言い出しました。
 
 
 
昨日、給食の献立表を確認したら、今日と明日はきのこが出ないことが判明。
 
今週はちゃんと行くとのこと。
 
 
 
さて、今後をどうしようか・・・
 
 
と。
 
 
 
新卒でうちの学校に赴任し、
 
今年で3年目の若い先生だそう。
 
 
張り切ってるんだろうなぁ・・・ネガティブ
 
 
 
私は、息子の前では先生や学校に対する不満は絶対に言わないと決めているので、
 
なんとか言い聞かせているところですが・・・
 
 
 
ここへだけ、私の本音を吐き出すとするなら、
 
「嫌いな食べ物食べなくても死にゃーせんけど、
嫌いな食べ物無理強いされて死ぬ子はおるんよ」
 
 
と言いたい。
 
 
その「死」というのは直接的な自殺ではなくとも、
その子の心を殺したり、
その子の未来を壊すことだってあるんです。
人生を変えてしまうことだってある。
例えばうちの息子が不登校宣言したみたいにね。
 
 
 
先生に対する不満が爆発しそうな気持ち・・・。
 
いえ、冷静に相談しようとは思っていますが。
 
 
端的に、
「苦手な食べ物が出る日は学校休むと言っている。」
という事実を相談しようかなと。
 
 
 
 
 
本音をぶっちゃけると・・・。
 
 
 
 
 
先生方には「食育」とは何かを考えて欲しいんですよねぇ・・・。
 
 
吐いてでも食べさせるってどんな気持ち?
 
 
って質問してみたいです。
 
 
食の無理強いで心を壊す子もいることを知って欲しい。
 
 
実は私も、小学生の頃は暗黒の時代でした。
 
 
その暗黒の、暗い悲しい思い出の一つが給食です。
 
 
 
その嫌いなものを我慢して食べれば忍耐力が付きますか?
逆に、その方法しか忍耐力はつきませんか?
 
 
昼休みを取り上げることと嫌いな食べ物を克服することは
同等の価値だとお考えですか?
 
 
 
私は結局その時は苦手を克服できなかったし、
 
あの時、昼休み返上で給食を食べさせられていたことが、
 
私の人生にどんないい効果をもたらしたのだろうと疑問でしかない。
 
 
いや、むしろ心を壊されてマイナスでしかなかった。
 
 
私ではないけれど、昼休みに居残りで給食を食べる人の中には
それでからかわれていじめに遭っていた子もいた
(特に男子)
 
 
みんな泣きながらどんよりした気持ちで居残りしていた。
 
 
あの、暗い暗い時間が私の人生に必要なことだったとはどうしても思えない。
 
 
 
 
残すのは勿体ない ↔ 減らすのは(少ししか)ダメ
ここには矛盾がある。 
 
子どもたちが自分の言うとおりに行動すれば解決する。
子どもが努力すればこの矛盾は解消される。
子どもが努力するほかこれを解決する方法はない。
 
 
という先生の横暴さを感じる。
 
 
 
 
 
 
嫌いなものを頑張らせることももちろん大事ですよ。
 
 
でも、その線引きはとても難しい。
 
 
 
親だって、理想を言えば、
 
嫌いなものも、一口、二口だけでも頑張って食べよう!
 
 
と言ってたべさせて、
 
徐々に苦手を克服して、
 
食べられるようになったね!!!
 
 
と一緒に喜びたいんですよ。
 
 
 
でも、そう上手くいかないのが子育て。
 
 
 
うちの息子だって、もっともっと苦手なものはたくさんあったんですけど、
 
本人が少しずつ努力してなんとか克服したものいっぱいあるんです。
 
 
 
でもどうしてもダメなものもあるんですよ。
 
私も幼児期の頃は
頑張ってたべさせようとしていました。
でも、いつも嘔吐してせっかく食べたても空腹状態。
身長や体重の伸び悩みがあったので
無理にチャレンジさせるのを止めました。
 
 
なので、無理強いはしないけれど、
 
苦手を克服した方が、
今後自分が辛い想いをするのべ数は減らせる。
今少し辛い想いをしてでも克服できれば、
克服した後にこんなに悩むことはなくなるよ。
 
 
ということだけいつも伝えています。
 
 
 
だから、頑張れそうだったら自分から頑張ろう!と。
 
本人は克服したいという思いもあって、
 
少しずつ苦手を克服しようと努力し、
 
誰に何を言われなくても食べられるようになってきたんです。
 
 
 
 
 
無理強いされればされるほど苦手になるって、
 
どうして解ってくれないのかなぁ~・・・。
 
 
 
 
ゲボっと吐いてしまったのに、
 
その後も完食を求めたという先生に、
 
私の幼少期の苦い想いを重ねてしまう部分もあり、
 
非常に強い憤りを感じてしまう。
 
 
 
まじで、もう一回先生に言いたい。
 
「嫌いな食べ物食べなくても死にゃーせんけど、
嫌いな食べ物無理強いされて心が死ぬ子はおる」
 
 
 
食に関する考え方は、
 
けっこう両極端に分かれるところですよね。
 
 
 
宗教的に
好き嫌い絶対なくそう!
食べ物残す子どもは悪だ!
好き嫌いをする子はワガママに育てられた子だ!
米一粒も残さず食べるのが日本人の美しさだ!
食べ物を好き嫌いなく育った子どもはなんでも頑張れる努力家だ!
 
という派がけっこう多い気がします。
 
 
戦後の刷り込み教育だと感じる。
 
 
『心や体を壊してまで食べる必要のある特定の食べ物は存在しない。
 
また、食べ物の好き嫌いを克服できなくても、
別に頑張れない子どもということではない。
他のことを思いっきり楽しんで、
なんでも楽しむ努力をすればいいんだよ
それが食べるということじゃなくても。
 
でも、食=生きる
ということ。
食べられるものをモリモリ食べよう!!』
 
 
給食に悩んでいる子どもたちみんなに、
45歳のおばさんになった私が
45歳になってわかったことを伝えてあげたい。
 
 
まあ・・・
 
 
教育上、息子にそれを堂々と言えないよなぁ~・・・と揺れる私。
 
辛いところです・・・。
 
 
すみません、今日の記事は
モヤモヤ殴り書きみたいになっちゃった・・・。悲しい