次の日も、



父がこちらの呼びかけに反応することはなかった。



ただ、じっと天井を見つめている父。











朝、目覚めたら、



父の意識は戻っているんじゃないか、



と思っていた。







これが現実だった。









泣き叫ぶ母にイライラした自分を恥じた。





あんなに酷い痙攣の状態で5時間も放置した医者を擁護した自分を恥じた。









物分かりの良いフリして、



ただ、現実を受け入れきれていなかっただけだった。









初めて、



父の意識は、もう戻らないのだ と思った。















人工呼吸器の、



シュゴーーー シュゴーーー





という音と、



心拍モニターの、



ピッ ピッ ピッ ピッ





という音だけが、



静かな病室に、規則的に響いていた。













「お父さーん?今日はすっごく天気よぉ~♪

海もこっからきれいに見えてるよぉ~♪」








母は、ニコニコしながら父に話しかけている。









昨日、あれだけ大騒ぎして、



あれだけ号泣していた母は、







今日はこんなにも穏やかに父に話しかけていた。









母の強さを思った。





















そういえば父が、定期健診に来て、



うっくんと二人で食事に行こうと歩いていた時、







「お母さんのすごいところはさー、



その人を、まるごと受け入れられるところなんだよなぁ~。



相手が、目が見えないとわかれば、



自然にその人の目になれるし、



相手が、耳が聞こえないとわかれば、



自然に会話にジェスチャーを加えて、



手話も出来ないのに、相手と普通に会話ができる。





お父さんの親戚には耳が聞こえない人が多いやろ?



お母さんがいてくれて助かってるよ。」









父の、亡くなったお兄さんも、父のいとこのおじさん、おばさんも、



耳が聞こえない。



そのうえ、このおばさんは独り暮らしだ。







母はしょっちゅう、おばさんの家に様子を見に行っていて、



話し相手になっていた。







そのおばさん自身も手話ができないし、



おばさんの身近な人も手話ができないし、



もちろん母も手話はできない。



でも、



なかなか周りと意思の疎通ができなかったこのおばさんの、



唯一の話し相手は、母だった。







愚痴を聞いてあげたり、世間話をしたり。







うっくんもこのおばさんと母の会話を



傍で何度も見たことがあるが、



真剣に見ていても、さっぱりわからない。







でも、母はその辺で井戸端会議をする主婦の感覚で、



そのおばさんを見かけると、



いつも話しかけて長話していた。









どんなに忙しい時も、



おばさんの家の近くを通ると、



ついでに様子を見に行って、



たくさん話を聞いてあげていた。









地域の人にいじめられてる話とか、



おばさんの兄妹の嫁さんにいじめられてる話とか・・・。



あそこのお店の、あの食べ物が最近のお気に入りだとか、



この間、あそこの○○さんが、病気して大変だった話とか。





















「お母さんにとってはさ、



”違い”なんて、まったく関係ないんだよなー。



その人自身しかみてないんだよなぁー。



まるでその障害自体に気づいてないんじゃないか、



っていうくらい、自然なんだもんなぁー。」








父が言った。







「お母さんは、あのおばさんと、



いつから話せるようになったん?」








「ん?



嫁に来た時からああだったよ。





あのおばさんに初めて会わせた時、



お父さんは、おばさんが耳が聞こえないって言ってなくてさ、



お母さんは知らずに挨拶したんだ。





おばさんはまったくしゃべれないからさ、



ニコニコして頭下げるだけで、何も言わなかったんだ。





そしたら、お母さんは言葉にジェスチャーを加えてしゃべりだした。







おばさんもニコニコしながら話だしてさぁ。





おばさんがあんなにおしゃべり好きとは知らなかったし、







びっくりしたなぁ~。





小さい頃から一緒に育ったお父さんだって、



あのおばさんとあんなに話せたことなかったのになぁ。」














父の、あの時の誇らしげな顔と、



今、目の前でニコニコしながら父に話しかけている母の姿が



オーバーラップした。















こういう姿に惚れたってわけか・・・。











と、なんとなく思った。















完全看護の病院だったけれど、



母は、看護師さんに頼みこんで、



ずっとつきっきりで、父のお世話を始めた。







タンを取ったり、



床ずれ防止のために、身体の方向を変えたり、



関節が固くならないように、



足や腕や指を曲げ伸ばしするリハビリをしたり。



歯磨き、



身体拭き、







看護師さんの手を借りながらも、



母はすべて自分でしたいと言って、



一人でやっていた。











昼間は睡眠とお風呂のために、



うっくんと交代しながらだったけれど、





一時も離れたくないようで、



その時間もわずかだった。















もしも自分が結婚して、



パートナーが病気をした時、



うっくんも、こんな風にできるだろうか・・・?







と思った。













9歳の年の差で、



年上の父にものすごくベタベタの甘えん坊な母が、



すごく凛としていて、



父の世話をする姿は、かっこいいな、







と思った。

































そして、







卒業式。

















朝から、ドレスを着て、美容院に行った。



(うちの学校は、袴、着物よりもドレスの方が多かったです)









そして、病院に立ち寄った。











病院には似つかわしくないその派手な格好で、



父の病室に入った。











母はどこかに行っているらしく、



そこには父だけがいた。













「お父さん。今日、卒業式なんだよー」

















「・・・4年も大学に出してくれてありがとう。」














シュゴーーーシュゴーーー



という音と、



ピッ ピッ ピッ ピッ という心拍の音。











「・・・お父さん・・・ごめんね?



うっくんが大学に行かなければ、



もっとマイペースにゆっくり仕事できたかなぁ?



無理させてごめんね・・・。」










握った父の手は、温かかった。









クレヨンしんちゃんを観ながらでもいい。



あの時、ちゃんと伝えればよかった。







卒業式なんて待たずに、



ちゃんと感謝の気持ちを伝えておけばよかった。







それを言った時の、



父の照れた顔が見たかった。

















「じゃ、お父さん、行ってきます。」











病室を出ると、



母がいた。









「あら、うっくん綺麗にしてもらったね♪

気をつけていきなさいよ。」





「うん!いってきまーす♪」














卒業式へ向かった。









来賓の長い長い祝辞を聞きながら、







うっくんがもっとしっかりしていれば、



うっくんがもっとちゃんと良い子に育っていたら、



お父さんはうっくんを大学に行かせようと思わなくてもすんだかもしれないなぁ。





そしたら、







お父さんはまだまだ元気に、のんびり仕事をしていたかもしれない。







心臓が悪かったのなら、



本当はきっと、体調だって悪かっただろうに・・・。







お父さんのありがたさもわからず、



大学に行かせてもらっているありがたさも忘れて、





ロクに大学も行かず、



バイトばっかりして、





うっくんはこの4年間、何をやっていたんだろう・・・。









4年間という、



きっと父と母にとっては、



長すぎるその月日を、



うっくんは無駄に過ごしてしまったのではないか、







そう思うと、後悔の念が次々に押し寄せてきた。













せめて、











せめて、せっかく受かった就職先では、





「大学に行かせてもらったおかげです」





と言えるような仕事をしよう。





胸を張って、父にお礼を言えるように、





できることを精一杯がんばろう。









そう思った。