あの時の会話が
最後の会話になるとわかっていたら、
もっともっと話したかった。
あの時の後ろ姿が
最後の元気な姿だとわかっていたら、
駅までやっぱり、一緒に行くんだった。
たくさん言いたいことがあった。
たくさん聞きたいことがあった。
あなたが私の父親だってこと、誇りに思っています、とか、
鬱陶しかったけど、厳しく躾けてくれて感謝しています、とか、
いっぱいの愛情をありがとう、とか、
「なんでこんな変な名前つけたの」って文句いってごめんね、とか、
「この家に生まれてきたくて生まれたんじゃない」って言ってごめんね、とか、
恋愛禁止って言われていたのに、ろくでもない男と付き合っててごめんね、とか、
大切なこと、一つも伝えてない。
どうしてお母さんと結婚しようと思ったのか、とか、
うっくんが生まれたとき、どんな気持ちだったのか、とか、
どんな男を、結婚相手として連れてきて欲しいか、とか、
今、幸せですか? とか。
一番知りたかったこと、聞いてない。
あの親戚のおばさんは、結局お父さんと、
どういう家系図で繋がったおばさんなの?
どうしてお父さんはお墓をいっぱい世話してるの?
(10石塔くらい(名字も違う))
おじいちゃんは、どんな人でしたか?
おばあちゃんは、どんな人でしたか?
お父さんの小さい頃って、どんな子どもでしたか?
父の存在なしでは、知り得ないことが、
我が家には、こんなにもあるもんなんだな、
と、
初めて気づいた。
12月の、父の定期検診の時、両親を見送って、
うっくんは、忙しく年末年始のバイトに明け暮れていた。
お正月には、
珍しく、母の甥っ子が名古屋から来ているとのことで、
父が、ものすごくゴキゲンだと、母から電話があった。
そして、
1月10日だったと思う。
母から電話があった。
「お父さんの様子がおかしくて・・・
今から救急車で運んでもらうから、
うっくん、来てくれない?」
「う、うん!わかった!!」
母の声は落ち着いていたけれど、
明らかに動揺しているのがわかった。
「・・・大丈夫?お母さん。
お父さんは痛がってるの?」
「ん?あ・・・いや・・・
痛がってはいないんだけど・・・
とにかく、総合病院に行くから。」
母の声は、いつもより1トーン低く、
慌てるというよりも、
落胆しているような声だった。
急いで病院に向かった。
救急車から降りてきた母は、
部屋用のスリッパをはいていた。
どれほど動揺していたか、すぐに察しがついた。
「お母さん・・・」
母の傍に行くと、
「・・・うっくん・・・
お父さん・・・
たぶん、脳に詰まったみたい・・・」
「・・・。」
運ばれて、
うっくんの横を通り過ぎる父が、
うっくんを見た。
目では、
「おう。来てくれたのか・・・」
と言っているようだったけれど、
言葉はなかった。
「応答はあるの?」
「うん。頷いたりはしてるから、
言われてることはわかってるみたいなんだけど・・・
もう、けっこう時間が経ってるし・・・
・・・どうかなぁ?」
手術が終わり、
医師からの説明では、
やはり脳梗塞だった。
リハビリ次第では、立ち上がったりできるようになるかもしれない
ということだった。
命に別状はないけれども、
歩けないだろうとのこと。
そして、
言葉がわからないだろう
ということだった。
ICUに入った父に、
会いに行った。
父は寝ていたけれど、
気配を感じたのか、ゆっくりと目を開けた。
「大丈夫?」
声をかけると、父はゆっくりと頷いた。
母が、
「お父さん、この子、誰かわかってる?」
とうっくんを指さして聞いた。
”なーにくだらん質問してるんだ、
そんなのわかるに決まってるだろ、ばぁーか”
という表情で、一瞬呆れたように笑って、
うっくんの方を見た。
そして、
父は、名前を言いそうになった瞬間、
一瞬驚いたような顔をして、黙り込んでしまった。
名前がわからない。
ただしゃべれないというのではなく、
名前も言葉もわからないらしい。
その一瞬で、
これからの大変な日々を、
父も、母も、うっくんも悟った気がした。
親が、自分の名前を忘れてしまう・・・
それは、言葉にはできない、
なんとも言えないショックだった。
最後の会話になるとわかっていたら、
もっともっと話したかった。
あの時の後ろ姿が
最後の元気な姿だとわかっていたら、
駅までやっぱり、一緒に行くんだった。
たくさん言いたいことがあった。
たくさん聞きたいことがあった。
あなたが私の父親だってこと、誇りに思っています、とか、
鬱陶しかったけど、厳しく躾けてくれて感謝しています、とか、
いっぱいの愛情をありがとう、とか、
「なんでこんな変な名前つけたの」って文句いってごめんね、とか、
「この家に生まれてきたくて生まれたんじゃない」って言ってごめんね、とか、
恋愛禁止って言われていたのに、ろくでもない男と付き合っててごめんね、とか、
大切なこと、一つも伝えてない。
どうしてお母さんと結婚しようと思ったのか、とか、
うっくんが生まれたとき、どんな気持ちだったのか、とか、
どんな男を、結婚相手として連れてきて欲しいか、とか、
今、幸せですか? とか。
一番知りたかったこと、聞いてない。
あの親戚のおばさんは、結局お父さんと、
どういう家系図で繋がったおばさんなの?
どうしてお父さんはお墓をいっぱい世話してるの?
(10石塔くらい(名字も違う))
おじいちゃんは、どんな人でしたか?
おばあちゃんは、どんな人でしたか?
お父さんの小さい頃って、どんな子どもでしたか?
父の存在なしでは、知り得ないことが、
我が家には、こんなにもあるもんなんだな、
と、
初めて気づいた。
12月の、父の定期検診の時、両親を見送って、
うっくんは、忙しく年末年始のバイトに明け暮れていた。
お正月には、
珍しく、母の甥っ子が名古屋から来ているとのことで、
父が、ものすごくゴキゲンだと、母から電話があった。
そして、
1月10日だったと思う。
母から電話があった。
「お父さんの様子がおかしくて・・・
今から救急車で運んでもらうから、
うっくん、来てくれない?」
「う、うん!わかった!!」
母の声は落ち着いていたけれど、
明らかに動揺しているのがわかった。
「・・・大丈夫?お母さん。
お父さんは痛がってるの?」
「ん?あ・・・いや・・・
痛がってはいないんだけど・・・
とにかく、総合病院に行くから。」
母の声は、いつもより1トーン低く、
慌てるというよりも、
落胆しているような声だった。
急いで病院に向かった。
救急車から降りてきた母は、
部屋用のスリッパをはいていた。
どれほど動揺していたか、すぐに察しがついた。
「お母さん・・・」
母の傍に行くと、
「・・・うっくん・・・
お父さん・・・
たぶん、脳に詰まったみたい・・・」
「・・・。」
運ばれて、
うっくんの横を通り過ぎる父が、
うっくんを見た。
目では、
「おう。来てくれたのか・・・」
と言っているようだったけれど、
言葉はなかった。
「応答はあるの?」
「うん。頷いたりはしてるから、
言われてることはわかってるみたいなんだけど・・・
もう、けっこう時間が経ってるし・・・
・・・どうかなぁ?」
手術が終わり、
医師からの説明では、
やはり脳梗塞だった。
リハビリ次第では、立ち上がったりできるようになるかもしれない
ということだった。
命に別状はないけれども、
歩けないだろうとのこと。
そして、
言葉がわからないだろう
ということだった。
ICUに入った父に、
会いに行った。
父は寝ていたけれど、
気配を感じたのか、ゆっくりと目を開けた。
「大丈夫?」
声をかけると、父はゆっくりと頷いた。
母が、
「お父さん、この子、誰かわかってる?」
とうっくんを指さして聞いた。
”なーにくだらん質問してるんだ、
そんなのわかるに決まってるだろ、ばぁーか”
という表情で、一瞬呆れたように笑って、
うっくんの方を見た。
そして、
父は、名前を言いそうになった瞬間、
一瞬驚いたような顔をして、黙り込んでしまった。
名前がわからない。
ただしゃべれないというのではなく、
名前も言葉もわからないらしい。
その一瞬で、
これからの大変な日々を、
父も、母も、うっくんも悟った気がした。
親が、自分の名前を忘れてしまう・・・
それは、言葉にはできない、
なんとも言えないショックだった。