「リチャード二世」折り返しの14日で、ワタシの手持ちも半分の5回目\( ˙▿︎˙ )/←あと4回観ます✨

悲劇喜劇、稲葉さんのインタビュー&寄稿に「エレファントマン」「五十四の瞳」戯曲とありがた過ぎました照れ

浅野さんの従者が好きすぎる件
浅野さんが演じられているロスとエクストンの従者さん。
従者の、王と王妃の別離を見ている時の物憂い表情がとても好きなのです(゚´ω`゚)

最後の王を暗殺する場面も、殺意よりエクストンの命令に戸惑ってる感があって(老いてて動きが鈍かっただけじゃない、みたいな)。
細やかな芝居好きすぎます…。

従者も翻弄された側で、しかも「じいさんをその辺に埋めてやれ」なんていう粗雑な扱いが哀しい…。
まあ、従者をそう扱ったエクストンが、今度はボリングブルックに似たように扱われるんですけどね!
この辺、ボリングブルックが昨今のインフルエンサーで。エクストンが狂信的なフォロワー…みたいな。
そんな風にもみえてきたりして。

■王とボリングブルックと。
ゴーントとヨークの心からの訴えをつまらなそーーうに聞いていて、ゴーントの死さえ「彼の生涯は終わったが、我々の旅は続く」「このことはそれだけにして」と響くことのなかった王と。←この台詞の時の亀田くんの表情が良き
王の悲嘆を「あなたの悲しみの影が、あなたの顔の影を砕いたに過ぎない」と言うボリングブルック。
政敵とはいえ、互いへの冷たさが災いを生むのだとゾッとするのです。

ボリングブルックの言葉は含みを感じやすくて、ヨーク公に窘められた時も「天意に逆らう気はない」って答えていて。それは「天意が望むなら、王になる」とも取れたりする。
ボリングブルックのいう「天」とは神なのか、民なのか。劇中では王の心が先に折れたけども…。

王が諸卿をピラトに例える、ウェストミンスターの場面がとても好きなのですが…聖書繋がりだからじゃないけど、まるで「最後の晩餐」で使徒たちの表情を覗き見してるような気分になります。構図もなんとなく。
フィッツウォーターやパーシーは王への侮蔑を。
オーマールやサリー公、スクループは痛ましさを。
カーライルや王、ボリングブルックらの言葉に、誰がどんな表情や仕草をしているのか…毎回観るのに忙しい💦

■ノーサンバランドの立川さんラブ
そんな中、ノーサンバランドがとても良いのです。
当初からボリングブルックに味方してるけど…あの場で王を「我が君」と呼び、でもボリングブルックへの譲位を勧めているノーサンバランドの表情には軽蔑とか…判りやすい色はないんですよね。

あの場でノーサンバランドが罪状の読み上げを強要したのは、誰より「王の責任」に厳格だったからだと思うのです。
かつてのリチャードを「王はもう王ご自身ではない」「人形同然」と断じたからこそ。ボリングブルックに制止されても…残酷な仕打ちと感じられても、最後に「王として」リチャードに責任を取って欲しかったんじゃないかなって。そこに反感を覚えられてしまうのは…どうしようもないことなのでしょうけども(´°ω°`)
ノーサンバランドは覚悟の上だと思いますし、だから次の場で「私の罪は私が引き受ける」に繋がるのかなって。

なーのーにー!
「四世」でああなるの本当につらいのですけど!!もう!!!←

ボリングブルックのもとへ向かうところや使者になる場面の沈黙、王の発言がぶれ始めた時といい…立川さんが素晴らしいとです(・∀・)!!!




あと今回、誰かへのセリフが別の場で思い返されることが多くて。
ヨーク公が王に父の黒太子をあげて「彼の手は同族の血でもって汚されたことはなかった」と言った言葉を。ラストのボリングブルックをみていると、ふと思い出すのです。
ああ、薔薇戦争がここから始まったんだ…って。



で、、ですね。
夏に買ったフランシュリッペのワンピをやっと着られました…(゚´ω`゚)!