叔母①の生活保護受給が決定。
2/1~受給開始となり、一人での生活が可能となる。
いつ何をしたか記録残し。
生活保護まで8ステップで受給になった。
①住所を復活させ
②身分証明書(健康保険証)用意し
③住む家確保して
④年金確認し
⑤生活保護申請書いて…
⑥受給決定と
⑦金額の連絡うける
⑧受給開始
スケジュール。
12/ 5 市役所に生活保護の相談電話する
12/12 市役所に生活保護の相談にいく
12/19 ①住所を復活させ
マイナンバーカードも申請
12/22 ②身分証明書(健康保険証)受取
受給のための銀行口座を開設
12/26 ③住む家を確保して(賃貸契約の締結)
1/11 ③住む家を確保して(賃貸 鍵受け取り )
1/11 ④生活保護申請書いて 1/16 相談員と面談(雪でリスケ)
1/17 相談員と面談
1/25 ⑥受給決定
1/25 住所変更(転出転入)
1/26 ⑦金額の決定
2/ 1 支給開始
2月中旬以降 面談
一般的な人は、①~④は必要なく⑤以降だけ。
相談した後は申請書書いて終わり。
約2週間~1か月で受給になる。
叔母が2か月かかったのは、私が休み取得が週1ペースだったからと、叔母はホームレスと同じで住所復活のための、市役所巡りイベントが発生したため。
簡単に書いてるけど、大変だった。
色んな事に気をとられながら五月雨でやるのは、時間的にも精神的にもきつかった。
叔母自身は、今何をしているのか分かってなかったと思う。
言うがまま書類を記載して提出させたから。
叔母「国のお金使って病院行くってこと…?」
叔母「…行きたくない」
叔母「国の税金使って、申し訳ない…」
国が困った人の救済措置と言ってるのだからここは助けてもらおう、などと説得。
前向こう、
楽しいことみつけたらいいよ、というと…
叔母「楽しい事・・・?」
叔母「猫と離れるのが寂しい」
叔母「あんな広い部屋で一人…」
叔母「何をしよう…」
手を出さない方が、親も叔母も幸せだったのかもしれない。
その罪悪感から、私は支援をし続ける。
叔母や、親の人生にまで責任を負おうとしている。
切り離しができない。
「にゃにゃがそういった、そうしたから。」
母はいいそうだな。
叔母は言わないと思うけど。
父も、ここにきて
「本当はこの家にずっといたい」
と言う。
これで本当に良かったのか。
私のやることは間違ってるんじゃないだろうか。
今なら戻れるのだろうか。
私の判断にもう自信もない。