城山の中腹「東二の丸跡」 に、徳島大空襲で亡くなった人たちの慰霊碑がある
遺族の人たちが建てたのだが、今やその遺族の人たちも高齢化し、城山の階段を
登って、慰霊祭を行うことが難しくなってきた。
そこで、移転の話が持ち上がっている
知り合いの遺族の方にお話を聞いたのだが、なかなか場所が無いそうだ
そこで、以前城山の頂上にあって、今は徳島市の郊外へ移転した護国神社はどうか
と、打診してみたそうだ
おなじあの戦争で亡くなった方たちを奉ってあるわけだから、調度いいのでは、
ということで
ところが、その返事 断られたそうです
で、その理由
慰霊碑は、空襲で亡くなった一般市民の人たち
護国神社に奉られているのは、兵隊に行って亡くなった人たち
だから、いっしょには出来ないというもの
べつに、一緒に奉れって言ってるんじゃないのに
神社の敷地の片隅に、慰霊碑を建てさせて欲しいっていうだけでしょうに
でも、だめなんだと
兵隊に行ってようが、行って無かろうが、同じ戦争の被害者だと思うけどね
なんか理不尽さを感じます
これって、護国神社の関係者の頭が固いだけでないの
もっと、柔軟に考えられんのだろうか
そんな難しいことなのでしょうか