他人が自分の想定外の行動をとったとき、多分なストレスを感じたり、陰鬱になったりするのには理由がある。
本来は、自分以外の人間が自分の想定どおりに動くわけないのである。
しかし、この姿はお母さんから上手に離れられなかったから、自分以外の人間の不本意な行為に納得ができない気持ちのまま生きているにすぎない。

精神分析学では乳幼児の発達段階の節目を大きく三つに分けて、それぞれが重要な節目であることを説いている。
この節目とは、生まれてから、徐々に親離れをする段階と考えられており、以下に分類されている。
(1) 口唇期 断乳のタイミング
(2) 肛門期 オムツが外れるタイミング
(3) 男根期 性別の区別ができるようになるタイミング
この三つの時期に、乳幼児は今まで取ってきたお母さんとの距離を取り直し、お母さん離れをする。
このお母さんから離れるタイミングがうまくいかないと、うまくいかないタイミングでできた傷は後の人生の生活習慣に大きな影を落とすと言われている。
例えば、
(1) 口唇期は、断乳とともに、自分で食事を食べられるようになるため、今まで恋人のように愛着を感じてきたおっぱいから距離が離れることになる。
断乳はお母さんが無理やりやめさせようとしなくても、時期や方法をしっかり学んでいれば、赤ちゃんの方から、飲むのをやめるのである。
おっぱいを飲んでいる間、赤ちゃんは唇をとおして愛情と満足を感じているので、このような名前が付けられたと言われているが、この時期の親離れが失敗すると、唇をとおしての欲求が満たされないままとなるため、将来はアルコール中毒、ヘビースモーカー、摂食障害といった、唇をとおして何かを摂取する行為に執着が見られるようになると言われている。
(2) 肛門期はオムツ外しのタイミングであるが、平たく言うとトイレトレーニングに禍根を残したかどうかということになる。
一般的にありがちなのが、子供の排泄物を汚いとお母さんが思ったことによって子供が深く傷つき、その後の人間関係構築に自信を失うということ。
排泄物には雑菌が含まれており、腐敗臭も伴って、綺麗なイメージは持てないのが普通と思われるが、それはその排泄物が誰のものかわからない場合である。
自分の子供の排泄物は、親が与えた食べ物を食べ、健全に消化吸収された愛しき残骸である。
排泄物が健全に排出されるということは、体が健全に機能している証拠なので、むしろ称えられて良いのである。
たれ流し状態から、意志を持ってトイレで排泄するということは、大好きなお母さんと同じ方法で、ウンチやおしっこにバイバイするという、子供からしてみたらとても大胆で勇気と頭脳を駆使した行為である。
だから決して失敗を責めてはいけないし、子供の体から排泄されたものを「汚い」などと絶対に言ってはいけない。
むしろ、旅立って行くウンチやおしっこには一緒に「バイバイありがとうね」と言って手を振って欲しい。
その時、どれだけ子供の顔が安堵するか、よく観察してあげて欲しい。
大きなウンチが出た時は、最大に褒めて、ふんわりしたお尻を撫でてあげて欲しい。
「すごいねー、おっきなウンチが出たねー、太郎ちゃんのお尻は偉いねー」撫で撫で、、と。
子供は、「僕ってすごいんだ!」と自身に誇りを持ち、トイレで健全に排泄することが健康上大切出あることを学ぶのである。
大切な時期なのである。
(3) 男根期は、幼稚園や保育園の年中さんくらいから、男女の性別が認識できるようになり、性器の形が違うことに興味を示す時期である。
この年代の男の子によく見られるのが「チンチンぶらぶらソーセージーーー!」など言って性器をネタにして笑い飛ばすこと。
こんな時は絶対に怒らないことだ。
成長の偉大な証だからである。
以前、日本の性教育の見直しが叫ばれた時期があったが、日本は性別の話題をナイーブな話題として伏せてきた歴史がある。
家庭でも学校でも性教育が行われないことが問題になったのである。
しかし、セックスをすれば妊娠するし、無差別な性行為は AIDS などへの感染の危険もある。
「チンチンぶらぶら」の時期から性教育はスタートと言って良いだろう。
この時は、性器は大事なものであることを丁寧に教えたい。
「まあ、かわいいおちんちんね、でもね、おちんちんはとっても大事なものだから、大切にしようね」など。
女の子には「おマタ (股) は大事なんだよ、コビトさんがお仕事してできたウンチやオシッコの大事な出口だからね」と
肛門期から学んだことを含めて、大切にすることをまずは教えたい。
お父さんと、お母さんの性器が違うことと、社会的な役割が少し違うこともこの時期に学ぶ。
性別の違いをちゃんと学べた子は、男尊女卑的な言動はしない。
男の子はレディーファーストを実践できるし、女の子は自分の安売りはしないのである。
精神分析に見る成長の節目の定義は非常に興味深く、決して見逃してはならない大切な節目であることを襟を正す思いで認識するのである。
これらは何を意味しているかというと、成長というのは、お母さんから離れて生きることを学ぶことであるということだ。
冒頭に書いた、人が想定どおりに動かないことにストレスを抱えることは、親離れに失敗していることをいつまでも引きずった生き方だと気づく。
引きずることは悪いことではなく、失敗した結果なのだから、失敗している自分を見つけてあげて、対処すれば良いのである。
その失敗も、決して本人の責任ではないのだから、恥じることではないのだ。
自分を恥じることも、お母さんを擁護してあげる必要もない。
事実のみを認識して、その後何をしたら良いかである。
大切なことは、
失敗した敗北感を抱えたであろう自分に共感することである。
ああ、失敗していたから生きにくかったんだね。
そうか、私は長いこと大変だったんだね。
よく頑張ってきたね。
寂しかったね。
大変だったね。
と、まずは自分の気持ちをしっかりと抱きしめてあげよう。
心に染み透るまで抱きしめたら、きっと涙が出てくるはずだ。
そうしたら、思い切り泣こう。
悔しかった気持ちを、クッションにぶつけよう。
クッションをボコボコとゲンコツで叩きながら、無念を吐き出そう。
そして、「わかる、その気持ちとってもよくわかるよ、もう大丈夫だよ」
と、何度も安心させてあげよう。
気持ちが変わるまで、何度も声に出して言ってあげよう。
100 回では少ないかもしれない。
生きにくさは、今までの自分の人生をひとりぼっちで歩いて来た心細さが極まって感じることである。
本来は養育者がそばにいるのが一番良いのだが、うまくいかない場合もある。
そんな時は、事実をできるだけ早く認識し、自分の中にいる自分に声をかけてあげるのである。
一人ぼっちで心の奥の壺にかくれている、かわいそうな自分を見つけて癒してあげることである。
一人の実践が辛すぎる時は、実績のある専門家の手を借りよう。
必ず蘇生できるはずだ。