もう半年以上連絡をとっていない。
Fさんは、お母さんからメールが来るたびに不快な気持ちを覚えるようになっていた。
なぜなら、お母さんは要件を言わずとも、Fさんがご機嫌伺いをしてくれると思っているからだ。
10年ほど前にシングルマザーになったFさんは、子供達を食べさせるためにSEになった。
食べるために仕方がなかった。
そのFさんのところに、最近おかあさんから何度も連絡が入っていたそうだ。

ところで、、。
お母さんに愛情を注いでもらった記憶のないFさんは、自分の子供が生まれた時に困惑した。
ちゃんと育てられるだろうか。
愛情を注げるだろうか。
育児は困難を極めたが、いろいろな知識を吸収するうちに、Fさんは自身の心が育っていないことに気づいた。
不登校になったことも、不幸な結婚をしたことも、心が育っていないことが大きく影響していたと思うようになった。
そして、勇気をもって心の治療にかよい始める。
はじめは、心の整理がついて、じきに穏やかになるだろうと思っていた。
しかし、かなりの年月が経過した時、新しい事実に気がついた。
自分は、両親から虐待を受けていたと。
父親からは、暴力やいたずらを受けていた。
母親からは、言葉の暴力を受けていた。
Fさんは、両親はしつけが厳しくて変わり者くらいに思っていた。
しかし、事実は違っていた。
自分の育った環境の異常さは、毎日何十年もその環境で生きているため、それが普通の日常になっており、気がつかないものである。
Fさんはたまたま手にしたPTSDの本の中に、自分の育った環境と、自分自身の歪んだ姿を見つけたのである。
Fさんは、PTSDを1歳半から発症していたと推定できた。
両親から与えられていたのは、愛情ではなかったと知った時、人として生きて来た足もとが崩れ、気づいた時に、電車のホームの隅を歩いていたことが三度あったという。
そしてこのまま、無意識のうちに死んでしまいそうな喪失感をなんとかしたいと、改めて主治医に相談し、治療のプランを練り直した。
それまでFさんは、急死した父親の葬儀を出したり、弟の病気の世話をしたり、時折実家にお母さんの顔を見に行っていた。
家族に少しでも尽くしたいと努力を重ねていたのだ。
ある寒い冬、Fさんは、冷え性のお母さんのために、暖かい素材のスウェットパンツを用意し、実家を訪ねた。
お母さんにスウェットをわたし、掃除をして帰ってきた。
喜んでもらえると思っていた。
一ヶ月ほど経ち、再び暖かい衣類を持って訪ねたところ、お母さんはこう言った。
「いらないわよ。あんたが持ってくる物ったら、股上が短くて寒いったらありゃしない」
Fさんは、せっかくお母さんに用意したパンツが、気に入ってもらえなかったことに寂しい気持ちになった。
そして、持って行った衣類を持って帰ってきた。
Fさんが用意した衣類は、そこそこ良い品物で、非常に暖かいと中年以上のご婦人に人気の商品だった。
当然股上も深く作ってあった。
Fさんは、ちっとも悪くない。
どちらかと言えば、Fさんの真心の品を履くことができない、大きなお尻をしているお母さんの体型に問題があると言わざるを得ない。
しかし、この親子関係は、真心を尽くした娘を悪者にして、母親が踏ん反り返っている。
母親は、ありがとうすら言わない。
そんな環境で育ったFさんは自分が悪いと思ってしまっており、お礼すら言わないお母さんを、おかしいとも思っていなかった。
そして、お母さんの心無い言葉に傷ついている自分を悪者にしていた。
完璧な、機能不全親子であった。
Fさんは、日常、うまくいかないことの多くをすべて自分の責任と思い込み、自分を責めながら生きていた。
話を聞くと、Fさんが悪いことなど、これっぽっちもなかった。
小さい頃から、お前は悪い子だと言われて育ったため、自己肯定感がほとんど育っていなかった。
Fさんは、自己肯定感を高めるための治療を受け、自身を育てあげた。
そして最近、スウェットパンツの話を思い出し、小声でつぶやいたそうだ。
「ちょっと、あんた、せっかく持って行ってあげたのに、ありがとうくらい言いなさいよ!パンツの股上が短いんじゃなくて、あんたがデブなだけでしょう!」
そう思って吹き出したFさんは、一ヶ月ほど前から頻繁に来ていた母親からの連絡を一笑した。
「ねえ、プリンタが壊れたみたいなの、修理に出した方が良いかしら」
FさんがSEだから、お母さんはなんでもしてくれると思っているようだ。
でも、Fさんはプリンタ屋でも電気屋でもない。
あなたは、このお母さんの問いかけがおかしいとは思いませんか?
もし、壊れたプリンタを使いたかったら、そのまま放置していては、永久に使えるようにはならない。
そんなことはちょっと考えればわかることで、いちいちFさんが登場しなくても済むことだ。
でも、もし大人のコミュニケーションが成立する関係だったら、、。
「ねえ、プリンタが動かなくなってしまったの。時間があったら見に来てもらえないかしら?」とか、どうやって修理手配したら良いかをたずねることだろう。
成長したFさんは、もうご機嫌伺いはせず、言いっ放しのお母さんを放っておいた。
お母さんは、一ヶ月半くらい、プリンタが動かない、とあの手この手で連絡をしてきたそうだが、見に来てほしいとか、どうしたら良いか教えてほしいとは一言も言わなかった。
Fさんは、このことをきっかけに、それまでFさんの周りにあった人間関係の多くが、Fさんに寄りかかってくるものであったことに気がついた。
Fさんの子供がこう言った。
「お母さん、みんなに利用されているの気付かなかったの?」
これには苦笑する以外なかったそうだが、今後の人生は、堅実な信頼関係を築くことを心がけてゆきたいと言っていた。



