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ただいま、おかえり

山田花畑の番外編

以前、記事に書いたJさんが、少し前に自らの命を絶ったと聞いた。
http://ameblo.jp/ukimpp/entry-12044293734.html

自宅のマンションから飛び降りたそうだ。

最後にお茶を誘ってから、半年くらい経ったろうか。
やっと数年ぶりに仕事を始めたものの、うまくいかずに退職し、それが引き金になって入院し、病院が嫌で自宅に戻ってすぐだったという。

呆然とした。



彼女には、長年お付き合いをしていた、妻子持ちの男性がいた。
散々騙されたのに、別れる勇気はなかったようだ。
お金を騙し取られたり、子供を身ごもったり、ボロボロになったはずなのに、断固別れなかった。

彼女の人生は、健全な愛情を注がれた歴史を持たぬまま、悲痛に閉じられた。

自らの命を絶つことは、自分に対する最悪の仕打ちである。
本来慈しむべき命を木っ端微塵にしてしまうほど、愛情が注がれないことへの怒りは大きいのだと思う。

自分が嫌いで、憎くて、どうしようもなくて、愛すべき自分が、最も惨めな姿のまま人生を閉じることを選択した気持ちは、どれだけの地獄だったであろう。

彼女は命と引き換えに、宿題を置いていったような気がしてならない。

最後のお茶を誘った時、彼女はヘラヘラ笑って、誘いを断った。
以前は、話をしたがって、何度か私のところに足を運んでくれた。
話し始めると、止まらなくなり、帰れなくなり自分をどうにかしたいと思い、その度に混乱し、苦しんでいた。

混乱はするけれど、誰かと思い切り、本音で話をしたいと望んでいた。
しかし、最後はそれすら拒んだ。

ひどく葛藤をしたのだと思う。

彼女を支えた肉親は一人もいない。

自分に関心を持って欲しい。
自分が、ここにいることを知ってほしい。
自分だって、何か生きている価値があると、気づいてほしい。

そんな願いが、数え切れないほど遠い昔に、たくさん、たくさん踏みにじられると、もう二度と傷つかないよう、自分を無価値な人間だと思うようになる。

愛情とは、心の大地にたくさん降り注がれる必要があり、豊かな心の大地の上に、幸せな人生と未来が開かれるのだと思う。

愛情を注げる生き方を、信頼を生み行く生き方をしたいと痛感した。
それが彼女からの宿題の答えだと、自分なりに思った。
今年も節分が過ぎ、春の訪れが楽しみな季節になった。

この時期になると、M子さんはワクワクと押入れからお雛様を引っ張り出す。
これは、M子さんが自分のために買ったお雛様だ。

以前はひな祭りなど興味がなく、そんな女の子の特別なお祭りなんぞ、面白くもなんともないと思っていた。
なぜならいい思い出がなかったからだ。



M子さんの家は狭かったので、M子さんが生まれた時、祖父母は小さな木目込み人形の立ち雛をお祝いに買ってくれたそうだ。

M子さんのお母さんは、毎年ひな祭りが近づくと、ホコリで汚れた吊棚の隅にそのお雛様を飾った。

数日すると、そのお雛様の頭にも吊棚と同じようにうっすらホコリがついた。
小さいうちは、吊棚の近くにちゃぶ台を運んで、お雛様を眺めたが、誰からも大事にされないお雛様には愛着が湧かなかった。

そして、大人になるまで、ひな祭りが「女の子の誕生を喜び祝って行われるもの」だという実感がなかった。
なぜならM子さんは、一度だって自分が生まれてきたことを嬉しいと思ったことがなかったからだ。

自己の存在を肯定できないことは、生きることを困難にする。

ぬいぐるみを自分に見立て、自分を抱きしめる練習をしたり、自分に大好きだと繰り返し言い続けているうちに、M子さんの中には自尊心が生まれ、だんだん自分を愛せるようになってきた。

しかし、健全な愛情を注がれたことがないため、その道のりは長く、一進一退の連続だった。
カウンセラーの先生について、この実践を始めてから1年半ほど経過した頃から、M子さんの心の中から「自分はダメな子」という意識が消えてきた。

その辺りから、劇的にM子さんの周囲に変化が見え始めた。

まずは、職場の対人関係がガラッと変わった。
気がつけば、M子さんは職場でとても大事にされるようになったという。

特殊な技術を要するM子さんの仕事は、ともすれば、相手の腹の中を探りあい、上下関係がしっかり出来上がるような場合が多いそうだ。
しかし、今M子さんは、信じられないほど和気あいあいと仕事ができるようになったという。
M子さんが困難なく仕事ができるよう、周囲はあらゆる環境を整え、技術的な困難にぶつかることはあっても、人とぶつかったり、嫌な思いをすることが全くなくなったそうだ。

ちょっと考えれば分かることだが、私たちは、食べ物や、日用品を選択する際、あえて評判の悪いものを選択するだろうか。

これは人にも置き換えられる。
特別な人間関係が存在する場合は例外も考えられるが、自分が大嫌いな自分を、他人が大好きになってくれるだろうか。考えにくいことだ。

心の歪みを治すことは、これを改善することにある。

自分が自分を大好きになること。
自分がここにいても良いということを、心の底から喜んで感じられるようになること。
これ以外に、心を病んだ自分を救う道はないのだ。

愛してくれない両親への期待は、早めに諦めて、自分の力で自分を愛せる努力を始めることだ。
勇気のいる作業が続くが、必ず春はやってくる。
諦めないで、続けることだ。
今まで流した涙が、必ず宝石に変わる日がやってくる。

M子さんは、そう噛み締めながら、今年も自分のために買ったお雛様を眺め、幸せを噛み締めるのだった。
F さんは、物心ついた頃から自分は悪い子だと思ってきた。
それは、そう言い聞かされてきたからだ。

Fさんは弟妹が生まれてから、両親に甘えた記憶がなく、物分かりの悪いお姉ちゃんだといつも怒られていた。
決まり文句は
「お前は悪い子だから」だ。

この言葉は、Fさんから全ての自尊心を奪う言葉だった。
Fさんは、幼心に思ったそうだ。
「私は、いつから悪い子になっちゃったんだろう?本当は悪い子になんてなりたくなかったのに」



小学校に入学し、担任の先生が音楽の授業の時、児童一人一人に歌唱させた。
最後の一人が歌い終わると、担任は言った。
「さあ、みなさん、誰が一番上手だった?」

クラスメートは一斉にFさんに注目し
「Fさん!Fさん!」の大合唱になった。
Fさんは仰天した。
彼女は心の中で絶叫した。

「みんなダメ!みんなは私が悪い子だって知らないのよ!ダメよダメ!」
耳を塞いで下を向いたが、Fさんがクラスで一番歌がうまいということになった。
Fさんは、悪い子は人から評価されてはいけないのだと思っていたそうだ。

この時Fさんは、生まれて初めて、人として「ここにいても良い」存在であることを自覚したという。
歌うことが、自分を人として認めてくれたと思ったそうだ。
だから、Fさんが生きることは歌を歌うことだと思ったのだそうだ。

本来はお母さんがその存在 (「ここにいても良い」と肯定してくれる) となるのだろうが、そうでない場合、お母さんの存在に変わるものが、毒親育ちの母となることがある。

Fさんは、治療が進んで随分楽になった頃から、いろいろな機会に歌を歌うようになった。
そして、歌っている時の自分がとても好きだと思った。

ある時、「歌っている自分が大好き」との実感を、縫いぐるみを抱きしめながら、じんわり味わっていた時のこと。

「あ、私が苦しかったのは、自分を好きになれなかったからだわ」

そう思った瞬間、堰を切ったように涙が溢れ、止まらなかったそうだ。
しばらく、叫びながら泣いたそうだ。

自分を好きになれないことが、どれだけ惨めか。
人はみな、自分を一番好きでいたいし、一番愛していたい。
それができて初めて、周囲にいる人との関係も円満になるし、日々も充実する。
自分の足元から始まる毎日、自分にちゃんと戻ってこられる毎日を幸せと思えるのだと。

なんと長いことさまよったことかと、自身の労をねぎらい、頰ずりしたという。

そして、今は自分を「心から大好き!」と思える自分になって、本当に良かったと涙を流しながら話してくれた。

嘘偽りのない人生とは、自分の存在を心から肯定し、喜んで生きることを言うのだと痛感した。
M子さんは、自己犠牲の人生が美しい生き方だとお母さんに教わった。
自分のことより、人のことをまず第一に考えるよう、厳しく躾けられた。

だから、子供が生まれてからは、一切自分のやりたいことを我慢し、欲しいものも一切買わず、一心不乱に自己を投げ打って、子育てに没頭した。

それが母親の美しい生き様だと信じていた。
ところが、5年ほど過ぎた頃から、体が疲れやすくなり、7年目、深夜に突然パニックの発作を起こした。
初めて診療内科を受診したM子さんに、医師は
「今まで我慢しすぎたね。今まで生きてきた年数分、まずはしっかり休みなさい」
と。



M子さんは、何かがフツと切れたように、布団から起き上がれなくなった。
もう休んでも良いという言葉に救われたのかもしれない。
しかし、M子さんの家族は違った。

夫はアイロンのかかっていないワイシャツをM子さんに投げつけ
「何でアイロンくらかけられないんだ!」
と怒鳴りちらし、子供はお腹が空いたと泣いた。

M子さんは困惑した。
医者から休めと言われたのに、この家族は私を一体なんだと思っているのだろう?
休めと医者に言われても、誰も私を助けてくれないの?
挙句、夫は女性の家に入り浸りとなり、子供達はパンの袋を抱えて飢えをしのいだ。
M子さんは、何を食べたか覚えていないそうだ。

M子さんの家族は、M子さんがどうなっても、自分たちのために日常の役目を果たしてくれると思っていたようだ。

自分が自分に圧力をかけて生きている、我慢して生きているなど考えたこともなかった。

M子さんが「もっと自分をさらけ出して、生きて良い」ことを学び始めた頃、突然絵が描きたくなった。

それまで絵など描いたことはなかった。
しかし、無性に何か描きたくなった。

学生時代に使っていたスケッチブックを広げたところ、意図せず手が勝手に動き、一枚のパステル画が出来上がった。

それは、三日月の陰影に、5歳くらいの、赤いリボンをつけた女の子が、遠慮がちな眼差しをこちらに投げかけている絵だった。

M子さんは愕然とした。
それは、紛れもなく幼少の頃のM子さんだった。

「ねえ、私はここにいるの。もっとちゃんと私を見て」
と言っているような絵だった。

M子さんは、何時間もその絵を見つめて涙を流した。
それを機に、M子さんは何枚も絵を描き続けた。
出来上がった絵は、赤いリボンの女の子が多く登場した。

半裸で地面に埋まっている絵や、蜘蛛の糸をたどって光の方向に向かっている絵など。
黒や茶色、深緑などの色調は、彼女の心の暗部を表しているのだろう。

絵が出来上がると、何時間でもその絵の中に描かれた自身の姿を見つめては、涙を流していた。

そして黒い絵の中にいる自分に向かって言った。
「苦しかったね」

M子さんは、お母さんに共感してもらったことがない。
痛いときの辛い気持ち、怖い時の不安な気持ち。
お母さんは、常に子供を突き放すような言葉を投げつける人だったそうだ。

その言葉が作ったM子さんの心の闇が、その絵に描かれていた。

心は目に見えないので、養育環境によってどれだけのダメージを受けたか、どれだけ大きい傷があるか目に見えない。
だから人は、心が受ける影響に無神経になる。

しかし、M子さんの絵は、心にこそ目を向けることが、どれだけ大事かをものがたり、養育者からの共感こそが人を育てることを痛感せずにはいられなかった。

M子さんが、パニックの発作を起こして20年。
妥協せず、治療を重ねた。

そしてやっと、闇を晴らす力が備わってきたそうだ。

毒親育ちの治療は、目に見えない暗部に手探りで光を当てるため、とても時間がかかる場合がある。
その闇は、顕在化されておらず、本人すら気づいていない場合が多いためだ。
見えてきた気持ちに、丁寧に対処してゆく。
しかし、続けて行けば、必ず核心にたどり着ける。

何年かかっても、勇んで治し、残りの人生を価値的に生きれば、病んだ歴史が宝になると思うのである。
人は生まれ落ちて何もわからない時から、お母さんに愛されることによって、自分の存在がかけがえのない、大切なものであることを母の姿をとおして学ぶ。

そして、降り注がれる愛情を受け止めながら、自分自身を大切にすること、心から愛することを学び、自分の尊厳生を守りながら生きることができるようになってゆく。

自分を大切にできるようになり、初めて自分を取り巻く環境に登場する様々な人たちとの距離の取り方、個々の存在の大切さを知り、人間関係を構築する能力を養ってゆく。



この能力は人間社会で生きてゆく上で、非常に大事なもので、人生の幸不幸の決め手となる力となる。

人は群れをなして生きる動物である。
昆虫などは、社会性を学ばなくとも、種を繁栄させることができるが、複数の仲間との相互関係が必要な生き物は、生まれ落ちた後、母親を必要とする。

母親からは、食べ物が与えられれば良いのではないのだ。
なぜ母親が必要かというと、社会の中で生き抜く力を学ぶ対象として、必要不可欠だからなのだ。

その学びは、文字や言語からだけでなく、皮膚からも吸収する。
これが非常に重要だ。

ハリー・ハロウのチンパンジーの代理母の実験はあまりにも有名だ。
動画は、チンンパンジーの赤ちゃんが、布の代理母と、針金の代理母のどちらを選択し、安定を得ようとしているかが容易に理解出来る。


Harlow's Monkeys

この映像は、私たちの日常に大変客観的に置き換えることができないだろうか。
チンパンジーの赤ちゃんの、恐怖の表情に共感できる何かがないだろうか。

この赤ちゃんを見て、胸が締め付けられるような気持ちになり、針金のお母さんではなく、布のお母さんにしがみつく姿にホッとし、叶うのであれば、生きたお母さんに抱っこされて欲しいと思うのではないだろうか。

胸が締め付けられるような気持ちと書いたが、この気持ちが「共感」なのである。
「怖いね、寂しいね、温かい方が良いよね」

もっと平たく言うと、悲痛に寄り添う気持ちだ。
私たちがより良く生きるには、常に自分自身に、この共感の眼差しが向けられている必要があるのだ。

人は人生の山を越えながら生きて行く。
乗り越えるためには、悲痛な気持ちを無視するのではなく、解決する必要がある。
解決するもっとも有効な方法が、共感することだ。
それが次の、心の高みに到達してゆくステップとなる。

この作業の果てに、精神性の向上があり、その歩みが健全な成長と言えるのではないだろうか。