A さんが、小学校低学年の頃。
この頃の子供は、ランドセルを家に置くと、よく駄菓子屋に走った。
しかし、A さんの家では買い食い禁止、駄菓子を食べることも禁止と言うルールがあった。
ルールが決められた理由を A さんは次のように理解していた。
買い食いは行儀の悪い行為であり、生活習慣が乱れるため禁止。
駄菓子は、食品添加物や細菌で汚染されている汚い食べ物なので、食べてはいけない。
A さんのお父さんは、買い食いする子供を見ると、憎しみを込めたように「意地汚い」、駄菓子は「大腸菌がついていて汚い」と言っていた。
A さんは、公園のブランコに乗りながら、向かいの駄菓子屋に群がる子供達の、とても楽しそうな光景をよく目にした。
「あの子たちは意地汚くて、汚いお菓子を食べてるのかなー?」
とても疑問だった。
そして心の片隅で
「私も買い食いしたいなぁ」
と思っていた。

夏になると子供たちは 、10 円のアイスキャンディをくわえながら遊んだ。
A さんは一緒に遊びながら、とてもうらやましく思った。
A さんの家では、一ヶ月に一度くらい、お父さんの機嫌の良い時にアイスキャンディを買ってもらうことがあったが、本当にまれなことだった。
二人の弟がいたので、一人が欲しいと言うと、子供の数だけ買い与えなくてはいけないから、おねだりはご法度。
間違って欲しいと言った日には、げんこつが飛んできた。
殴られてからは、一切おねだりはしていない。
お父さんは、子供によく手を挙げた。
痛くて泣くと、げんこつを振り上げて
「うるさいから泣くな!もっと殴られたいか!」
とさらに怒った。
痛いのに、泣いたら殴るぞと怒られ、痛いのを我慢するのは、心に大きな圧力がかかる。
A さんは、こんな日々の積み重ねで、様々な苦痛を感じなくなった。
そんな A さんも、一回だけおきてを破ったことがあった。
次元は小さいが、精一杯の反発だった。
どうして自分は月に一回しかアイスキャンディが食べられないのか、、何でお母さんのお財布には小銭がたくさん入っているのに、自分たちは美味しいおやつが食べられないのか。
狂おしいほど不満だった。
A さんの耳元で、悪い子の A さんがささやいた。
「お財布には 10 円がたくさん入っているから、一枚くらいとってもわからないよ」
「アイス食べたいんなら、食べちゃおうよ」
A さんは我慢ができなくて、お母さんのお財布の中から 10 円を盗み出した。
心臓は張り裂けそうなほど鳴り響き、冷や汗がにじんだ。
小さな手のひらに、盗んだ 10 円玉を握りしめて、近所のお菓子屋さんに走った。
ショーケースからチョコレート味のアイスキャンディをつかんで、汗でじっとりした 10 円玉をお菓子屋さんのおばさんに手渡すと、近所の空き地まで必死で走った。
空き地の真ん中には、大きな泰山木が生えていた。
腐った花びらが、汚らしく垂れさがっていた。
A さんは、誰にも見られないよう、太い幹の影に隠れた。
そして、近所の子供たちがするように、アイスキャンディの包みをむしり取り、空き地に投げ捨てた。
得意そうなこんな姿を、真似してみたかった。
慌ててアイスキャンディにかぶりつく。
ところが、自分のしたことが恐ろしくて、味がわからない。
あんなに食べたかったのに、恐ろしくて味がわからない。
あああ、怖い。
お父さんに見つかったら、また殴られる。
恐ろしい!
A さんは食べるのをやめて、アイスキャンディを空き地に投げ捨てた。
そして、逃げるように、何事もなかったように、家に戻ったのだ。
たかが 10 円のちっぽけな買い食いの話だが、A さんはこの出来事を、今でも生々しく、狂おしく思い出すのだそうだ。
それくらい、大きい罪悪感と恐怖に襲われた出来事だったそうだ。
この出来事を語りながら、A さんは当時抱いた恐怖に号泣した。
さらに、そんなちっぽけな恐怖に、いまだに自身が囚われていることを嘆き、さらに涙を流すのだった。
A さんのお父さんは、普段からよく子供に手をあげ、お母さんは子供たちが殴られていても助けなかった。
A さんは、見た目は快活そうだが、心の底には大きな絶望と喪失感をいつも抱いていた。
そして長いこと、不足と規則に対する異常な恐怖に苦しんだ。
欲しくても欲しいと言えない。
欲しいものがあっても買えない。
食べたいものがあっても食べたいと言えない。
何があっても決められた規則から逸脱できない。
子供の頃に心に染みついた癖は、大人になってもなお A さんの行動にブレーキをかけるのである。