生後半年ほどで重度の小児ぜんそくが発症。
毎年重い発作を繰り返し、時には肺炎を併発。
小学生になるころには、一年に 2-3 回入院。
また、ぜんそくが引っ込んでいるときは、ひどいアトピー、アレルギー性鼻炎。
時には自家中毒。
思春期には、朝具合が悪く学校に行くことができず、重症の自律神経失調と診断。
お母さんは、M 子さんの具合が悪くなると、せっせと病院へ連れて行った。
アレルギーテストを行ったところ、ハウスダスト、花粉などいくつかのアレルゲンに過度に反応を示すことが分かった。

主治医は掃除の仕方、枕の素材など、できるアドバイスを行った。
ところで M 子さんのお母さんは、片づけができない。
家の状態は、ゴミ屋敷だ。
自営業を営んでいた M 子さんの家は、店舗つきアパートで、部屋数が少なく、一日1分たりとも日がささない。
M 子さんには弟妹がいて、お母さんは仕事と弟妹の世話で忙しい。
だから、 M 子さんの診断でお母さんが何をしたのかと言えば、、何もしなかった。
天井はカビだらけで、屋根裏ではネズミが走り回る。
布団は湿気で冷たく、冬などなかなか寝付けなかったそうだ。
M 子さんが瀕死の状態で、ぜーぜーと呼吸困難に陥っていても、お母さんは一切掃除をしなかった。
M 子さんは物心ついたときには、いつも一人だったと言う。
お母さんと遊んだ記憶も、抱きしめられた記憶もない。
病院に入院した時、一日 10 分間、お母さんがお見舞いに来るときだけ、M 子さんはお母さんを独り占めできた。
M 子さんは、この 10 分が欲しくて、時々
「入院したいなぁ」
と思うようになっていたと言う。
しかし、この10 分は無機的なもので、頭を撫でられることも、手を握ってもらうことも、抱きしめてもらうことも一度もなかった。
ただ、洗濯物や頼んでいた本を受け取るだけだった。
かけてもらう言葉は
「足りないものは?」
だった。
それでもお母さんと二人きりの貴重な時間だった。
M 子さんは、この 10 分間が異常だと気づいていなかった。
一年で、5 時間未満の計算である。
医師から「今度肺炎を起こしたら M 子ちゃんは死にますよ」と言われても、何もしないお母さん。
病院に入院したらお見舞いに来るけれど、弟妹が小さいからと付き添いはせずに 10 分だけ病室にいて、買い物があるからと帰ってしまう。
お母さんがなぜ病院へ M 子さんを連れて行ったかと言えば、それは看病というバトンを病院に渡したかっただけなのだ。
お母さんは大変だからと、お母さんをかばっていた M 子さん。
でも、お母さんの背中を見て、無性にすがりつきたいと思ったことがあったそうだ。
不思議とその時、大きな衝動に駆られたが、
「でもダメだ」
と、諦めた。
拒否されるのが怖かったそうだ。
M 子さんは、ぬいぐるみを抱っこするまで気が付かなかった。
自分があまりにも抱っこされなかったことを。
子供はもっともっと、お母さんに愛され、抱っこされて良かったことを。
あまりにも甘えていない時間が長すぎて、愛情が足りなさすぎて、M 子さんは愕然としたそうだが、思い切り挽回してやると、ぬいぐるみを抱いて、抱いて、抱っこしぬいた。
そして、ある時
「あんたは体が弱かったからね」と言ったお母さんに初めて反撃したのだ。
「お母さん、私の成育環境に、どれだけのストレスがあったと思うの?子供には過度のストレスだったはずよ。
それを虚弱体質だなんて、具合だって悪くなって当然ですからね!」
もうお母さんは、70 に手が届く。
仕事から引退をして数年が経過してもなお、お母さんの住んでいるところはゴミ屋敷のままだ。
M 子さんは続けた。
「お母さん、片づけられないのは、自分の問題を片づける力が無いからよ。
何かあってもあたしは何もしないわ。
身の回りに置く物は、棺桶にいられる物だけにしてちょうだい!!!」
M 子さんが子供のころ常に病気だったのは、精神のバランスを壊したことから来るものであったことを、M 子さんは大人になってから知ったのであった。
心の治療には何年も、何年もかかった。
いつも心は崖っぷちで、安らぐことがなかったと言う。
泣いても、泣いても、涙は枯れないのだ。
母親に大事にされなかったことが、こんなに悲しいことなのかと深く深く悲しんだ。
愛されていなかったことを認めるのは、大変難事なのだと M 子さんの姿を見て思うのだった。
M 子さんは、治療の甲斐あって、お母さんに対し、初めて本音をぶつけられる力を得ることができた。
M 子さんは、現実の理不尽と格闘しながら、生きる力を膨らませている。
ちなみに、M 子さんのお母さんがしたことは、ネグレクトという立派な虐待行為であった。
残念なことに、お母さんは自分が我が子を虐待していたとは、これっぽっちも思っていない。