教師の有り方について考えてみたけど。あんまにいい方向には考えが行かなかったな。
今の日本は「格差社会」と呼ばれる貧富に差が激しい社会である。
「勝ち組」「負け組」という言葉があるように完全に二極化しているように思う。
OECD(経済協力開発機構)の中で2000年の相対的貧困率が13.5%とアメリカについで二位であるようだ。
想定的貧困率とは、所得の順番に並べて、真ん中の人の半分以下の所得の人が人口に占める割合のことである。18歳から65歳までを限定としており、政府の「格差広大は高齢化が原因」とする説は当てはまらない。
ちなみにこの数値は階級社会として知られるイギリスの二倍であり、この調査で出た真ん中の所得476万円の半分273万円以下の生活者が世帯の13.5%存在するということになる。
このような事態の中、2006年の朝日新聞の一面に就学援助が四年間で4割も増加した、とある。
給食費はおろか文具代もまともに状況にいる世帯が4年間で4割増えたそうだ。
特に東京・大阪では4人に1人援助を受けているらしい。
東京の中でも足立区は30%もの世帯で援助を受けており、支給レベルはかなり高く設定されているみたいだがそれでも30%の世帯で援助を受けている。
そろそろ本題に入りたいと思う。
この格差は経済的な面だけでなく教育面から見てもかなり深刻な問題となる。
お金を設けるためにはどうしたらいいのか。一番手っ取り早いのが有名大学から有名企業へ行くことである。
では有名大学に入るためにはどうしたらいいのか。進学校にいけばよい。
きっちり進学校に入学するためにはどうすればいいのか。塾に行けばよいのである。
ここでなんとなく経済格差が教育格差にリンクしていることがわかったことだろうと思う。
これが保育園からではどうなるというのか。
公立幼育園23万8千円 公立中学校46万9千円 公立高校51万6千円
私立幼稚園50万9千円 私立中学校127万5千円 私立高校103万2千円
授業料・入学金・給食費などをあわせると、これだけのお金がかかるといわれている。
私立と公立では二倍ないし三倍も違ってくる。
私立には行くためにはお受験があるため、塾に行くことになるであろう。
塾に行かず、公立のみを進みそのままいわゆる「勝ち組」となる者もいる。
だが、確率的な問題で、塾⇒進学校という順序を踏む方がより確立は高くなる。
私立と公立ではただでさえ格差があるというのに
一時は「ゆとり教育」なるものが行われていた。
ゆとりの本質は「学校の成績が良くないからと悲観することはない。人間には持ち味がある」という
個性の尊重といわれているが、あんなものは全くの出鱈目である。
政府の本来のあり方は、生徒が悲観することがないよう尽力べきである。
それなのに小泉元首相は
「格差があるものは悪いこととは思わない。能力のあるものが努力をして報われる社会を」
という。
経済的に格差があり、もともとのスタートラインが違う状態でなにを言うのだろうか。
正直、学力と経済力は切っても切り離せないものがあると思う。
今、大不況といわれている中モンスターピアレントといわれる保護者が出ることは
自然の摂理なのかもしれないと感じる。
世の中がおかしくなれば教育どうこうではなくなってしまう。
本題に入るといいながらわき道にそれてしまったが、
僕が考える、これからの教育者のあり方は塾講師的教師ではないのだろうか。
格差問題で教育的にも格差が生じている。この部分だけでも食い止め、未来ある子供たちに夢を持たせる為には、選択の幅がなくてはいけない。
経済的理由から私立や進学校に行けなかった、公立に進んで、就職かFラン大学に行く
という選択肢だけでなく。
公立に進んでもレベルの高い、より専門的な教師が授業を行う。
そして、就職するにしても職種の幅を、大学に行くにしても大学の幅を広げるのがいいと思う。
僕の専門である国語からいえば、
学校らしくストーリーそのものにも触れるが、主に文法メインでの授業の推進。
文学部に入れが時代背景などより詳しく学べるし、
文学に興味がない人は学ばなくてもいいわけであるから、ある程度の読む力
ストーリーを楽しめるだけの感受性が付けがいいわけである。
学校という現場で合理化をもとめてはいけないよとは思うが、
このようは社会である以上、これ以上の格差を出さないために
このような教師のあり方がいいのではないかと思う。
正直、苦肉の策である…
あでぅ~
うき♪