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今日の話は、振り返りやけど、嫌な思い出じゃないよ。

ちょっと切なかった、でも懐かしい思い出です

鼻ぺこは、長女を出産して、3ヵ月くらいで職場復帰しています。当時は育児休職なんてないので、どの職場もそんなもんでした

それで、姑が子供の面倒をみてくれたんです

最初は、そのまま幼稚園に入るまで、姑が育児をするつもりやったんですが、それはぺこ夫の強い希望でした。保育園は子供によくないので、絶対に入れないと申しておりました

ところが、途中で姑が音をあげてしまい、結局は1歳にならずに保育園のお世話になったんですが

それはそれで良い選択やったと、鼻ぺこ夫婦も姑も、すぐ思う時が来ましたよ



そして、切なかった思い出とは

・休憩時間にトイレで、母乳を絞って捨てた事

鼻ぺこは、いっぱい母乳が出たので、産休中はもちろん母乳だけで育てていたんやけど、職場復帰してしばらくは、昼間に乳房が張って痛くて困りました。
朝晩しか授乳しなくなって、すぐに昼間は張らなくなりましたが、切なかったです

・母親になつかない長女

長女が4・5か月になった頃、鼻ぺこが仕事から帰って、長女を受け取ろうとすると、姑にしがみついて嫌がった。
朝・晩に数時間しか顔を見ない母親より、ず~と一緒の姑になついて当たり前やねんけど、その時の鼻ぺこは、それが理解できなくって、とっても辛かった。

さすが、姑は「私の方が良いのは今だけや。すぐにお母ちゃん(鼻ぺこ)が良くなるよ」って、全然気にしたらはらへんかったけど。

そして、その言葉の通りになりましたけどね


今でこそ、子供を産んでも働くのなんて、当たり前で珍しくないかもしれないけど、鼻ぺこが長女を出産した頃は、ほんまに大変でした。

職場でもほとんど、結婚と共に寿退社していたんですもんね

それで、保育所も今みたいに、産休明けから預かってもらえる場所はないし、働くためには、鼻ぺこみたいにどちらかの親に頼むか、無認可の保育園に入れるしか方法がない時代でした

自分にも孫が出来て、時々孫を預かったりしていますが、今になって、当時の姑の大変さが分かるようになりました。ほんまに大変やったと思います。

「お姑さん、よう頑張ってくれはったなあ。有難うございました」おじぎ

育児の思い出は、まだまだあります