人の記憶って言う物は曖昧な物である・・

 

 

同じ場所にいても・・・

自分は見たい物しか見ず

 

 

記憶したいことしか

記憶してないのかも知れない・・・

 

 

そんなことをいつしか感じるようになり

今日観たdTVドラマの

「アリスー運命のタイムトラベル」によって

 

 

似たような場面が映し出され

再確認いたしました・・・

 

 

それによりますと・・・

記憶とか感情は時間と共に薄れていくが

 

 

 

泣いたり笑ったりした多くの思い出は

空間に残り、空間は時間を保管する・・・そう?

 

 

 

確かに・・・この言葉は印象的だから

覚えておきたいとか・・・

 

 

 

この作者の名前だけは忘れないで

記憶しておきたいと思ったことでも・・・

 

 

年を経ると・・・

顔は思い出せるのに名前が出てきません・・・

 

 

 

その点その場面で

泣いたり笑ったりした思い出は・・・

 

 

何時になっても鮮明に心に焼き付いていて

年月の経過を感じません・・・

 

 

 

3ヶ月を置いて見送った二人の姉弟の事・・

当時はあんまり突然すぎて心の整理が付かず・・・

涙も出ませんでしたが・・・

 

 

 

あれから時間の経過と共に姉や弟と

共に仲良く暮らしてきた年月の

思い出を辿るとき・・・

 

 

 

寂しくて哀しくて

姉や弟の元気だった頃の姿が思い浮かび

今になって涙が止まりません・・・

 

 

 

高校を卒業すると姉は

京都の商事会社へ就職して・・・



盆暮れになると家族のお土産には

何がイイカと毎回必ず私に

代表して手紙を書いてくれました・・

 

 

 

私がみんなの欲しいものを聞いて回って

欲しいもののリストを作って姉に手紙で

送りますと必ずその注文に答えてくれた姉・・

 

 

 

田舎育ちの私が唯一

一人で行けたところは・・・



バスと列車を乗り継いで

2時間半かけて辿り着けた

姉の嫁ぎ先の京都でした・・・

 

 

 

連絡してから私の仕事の半ドンの

土曜日に出掛け一晩お泊まりして

姉の手料理を食べさせて貰い・・



 当時2、3歳だった姪や甥とも

楽しい時間を過ごし・・・

 

 

次の日に買物に一緒に付き合って貰って

帰ってきました・・・

 

 

 

姉はそのとき二人の子育て中で

働いていなかったのに・・・

 

 

 

へそくりで私に高価なブラウスを

1枚だけ買ってくれたのが

妙に記憶に残っています・・・

 

 

 

年子の妹も就職先が姉の近くで

仕事の休みの度に姉の所へ

寄せて貰っていたようですし・・

 

 

 

亡き弟も結婚した頃に

たまたま姉の近くの税務署へ

赴任し・・・

 

 

 

夫婦で姉の所へ行って

食事を共にしていたみたい・・・

 

 

 

その当時は私はすでに結婚して

当地へ来ていましたが・・・

 

 

 

姉は私たち姉妹弟の面倒見の良い

肝っ玉母さん役をしてくれていました・・

 

 

 

私が結婚するときも地元より

京都の方が着物の品揃えが多いからといって

 

 

 

母と私を呉服屋さんへ連れて行って

婚礼着物1式を選んで揃えてくれたのも

細やかな気配りの出来る

6歳年上の姉でした(財布は母持ち!)

 

 

 

姉ちゃん本当にありがとう・・・

 

 

 

義兄は私達親子や妹弟がいつ行っても

優しく笑顔で迎えてくれて

美味しい物をたくさん買ってきて

食べさせてくれました・・・

 

 

亡き父が京都の病院で

ヘルニアの手術をしたときも

田舎からの通院は無理だと言うことで

 

 

退院してから約1ヶ月間

両親を自宅で預かり快く世話を

引き受けてくれたのも

姉夫婦でした・・・

 

 

義兄は毎朝仕事へ出掛ける時と

帰って来た時には・・・

 

 

父や母の部屋に顔を出し

挨拶を欠かさなかったと

亡き母が言っていました・・・

 

 

その優しさは結婚した当時も今も

全然変わっていません・・



私達姉妹は義兄を心から尊敬し

慕っています・・・

 

 

 

弟は・・記憶にあるのは弱虫の泣き虫で

いじめられていつも涙と鼻を

垂らしていました・・

 

 

 

私の授業が済むと私の教室の外に

泣きながら待っていて・・・

 

 

 

「XXちゃんがいじめた~」と

泣きじゃくるので・・・

 

 

 

私が休み時間に弟の教室へ

怒鳴り込みにいき

 

 

「弟をいじめた奴は出てこい!ウチが相手や!

泣かしたら承知せんぞ~!」

 

 

と弟を庇い続けました・・・

 

 

 

父がか弱い姉妹の中で私だけを

腕っ節の強い男らしいおなごに

育て上げてくれたお陰かしら・・・グラサン

 

 

 

「ワシ」と言わないよう「ウチ」という

努力をしました・・笑い泣き

 

 

 弟は中学校へ入った頃から

身長もメキメキ伸びだし・・・



運動部で活躍しだしてからは

いじめとは縁がなくなり・・・

性格も明るく朗らかになりました・・・



その弟に地元で働いていた私は・・・

高校3年間お小遣いをやりっぱなし・・!

 

 

でも弟が可愛くて仕方ありませんでした・・

 

 

弟は税務署を辞めてからは

税理士事務所を開き・・・

 

 

高齢の親と同居してずっと

面倒を見てくれたことは・・・

感謝しても仕切れません・・・

 

 

弟よありがとう・・ !

年寄りは嫁が世話をいやがり

施設行きが当たり前になってる町内で



あなたがた夫婦は最後まで

親孝行をしてくれたね・・!

 

 

亡き両親も天国であんたとの再会を

喜んでくれてることでしょう・・・

 

 

私は幼い頃のか弱かったあんたを

体を張って守れて

幸せでした・・・!