わたしがもし今死んだら・・・
真っ先に逢いたい人は父方の祖母です・・・


年子の妹が体が弱かったため・・・
母は病院に近い実家へ姉と年子の妹を
連れて行っていましたので・・


わたしが生まれてからずっと小学校へ
入学するまで祖母がわたしの
世話をしてくれていました・・・


普通の子なら小学校へ入るまでに
母親から読み書きを習うところを・・・


うちには母親が不在で・・・
わたしは祖母から

 

 

小学校へ入るまでに
平がなカタカナはもとよりローマ字から

算盤まで教えて貰いました・・・


何で急に・・・

こんなことを思いだしたのかと

申しますと・・・

 

 

当時は自分の命の次に大事な存在だった
祖母のことです・・・


祖母にご飯を食べさせて貰わなかったら
わたしはとても生きてこられなかった・・・


だから・・自分が働くようになったら
一番最初に優しかった祖母に孝行したい・・・
とそればかりを願っていましたが・・・

 

 

わたしが中学3年生の秋・・・
祖母はあっけなく、亡くなってしまいました・・
何の孝行も恩返しも出来ぬまま・・・


そのときの悲しみは・・
生まれて初めて経験する愛する人との
身を削られるような苦痛にも似た喪失感でした・・・


それからは・・

いくら頑張っても孫には限界があり・・・


ずっと傍には、付いていてあげられないことを
思い知らされました・・・


やはり親の世話は子どもにしか出来ないと・・・!

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ご近所に都会で暮す息子夫婦が
生まれたばかりの子どもを置いて

嫁が出て行き、離婚したので・・・

 


田舎に住む祖父母夫婦が、引き取り・・・

その孫息子を幼い頃から面倒を見て

一人前に育て上げました・・・(大学を出るまで)


その当時はまだ若かったので
田舎で保育園の送り迎えから授業参観や遠足など
祖父母夫婦が全てやっていましたが・・・


寄る年の波には勝てません・・
地元の大学を卒業させた頃には・・・


もはや・・片方が80歳を超えて・・
自分たちの方が世話を必要とする
年代になっていました・・・


大学を出て今年から就職をしたばかりの孫に
仕事を辞めて自分たちの介護を
頼むわけにも行かず・・・


孫息子は自宅から通える範囲の就職先なので
これからは一人でこの家で暮すように言って・・


自分たちの最後はやはり子ども達の傍で

暮したいと願い・・・・(長女も長男も都会で結婚しています)


息子の通える範囲の台所付きの
有料老人ホームへ入られたとのこと・・・


世話になった祖父母の近況が気になり
地元に残った孫が面会に行くと・・・


祖父より5.6歳若い祖母の方がボケてきて
今まで家事は一切しなかった祖父が
食事を作って祖母に食べさせていた
と言います・・・


父親と伯母は1週間に一度ずつ
お世話しに通っていると言いますが・・


いくら世話になっていて気の毒に思えても
孫にはどうすることも出来ません・・・


うちの子ども達も、同じようにわたしが働いていて
祖母に可愛がられ、育てて貰いました・・・


晩年は仕事を辞めてわたしが看取りましたが・・・


普段は涙も見せず、ろくに物もしゃべらない息子が
祖母の亡くなったときには号泣してる姿を見て・・・


孫と祖母の密接な関係を

わたしが経験してるだけに・・・

 


義母が私のいない間に

どんなに二人の孫を可愛がって
大事に育ててくれたのかと思うと・・・

 


胸が締め付けられるような

思いがいたしました・・・



我が子を育てて貰った恩は、親が責任を持って

返して行かねばならないと・・・

痛感しています・・・