結婚してからずっと相棒の兄姉が
夏休みや冬休みになると家族揃って
やってきていました・・・


長い滞在組になると
ご主人を置いて帰ってくる相棒の
すぐ上の姉(4歳上)なんかは
子どもさんが中学に入るまでは・・・


夏休みが始まると同時にやってきて
夏休みが終る寸前に帰って行く
パターンの繰り返しでした・・・


迎える側の相棒や義母・・・
そして私の子どもたち二人は


従兄弟達と年があまり変わらない

ものですからとても喜こび


どこへ行くのも連れ立って
ころころ遊んでいました・・・


そして帰る日がやってくると義母は
わたしに・・・

 

 

「羽ちゃんK(姉)達が帰るときには
必ず笑顔で又来て下さい!と言って
送り出してね!」
と念を押して言われました・・・

 


当時はその言葉を当たり前のように
使っていましたが・・・


結婚してから自分が実家へ帰ったり
姉や二人の妹宅へお泊まりしたときに
送り出す言葉と一緒に
「又来てね・・!」


と言う言葉を掛けられたときの
嬉しさと喜びと暖かみは・・・


他のどの言葉より嬉しく
心地よく心に響いていました・・・


遠い日の懐かしい思い出・・・


晩年の母はわたしがお見舞いに実家へ
2.3日帰る度にわたしの手を握って離さず・・・


母の「又来てくれ!」と言う言葉に
わたしが・・「又来るね!」・・・・


と応えると・・・
「今度いつ来るかカレンダーに丸印を付けて
帰って!」とせがみました・・・


母はよほど子ども達との別れが

辛く寂しかったのだろうと思います・・・

 


そのとき元気だった弟が・・
「来る日を絶対にお母ちゃんには言わないで
わしに言うてくれ!そうでないと

朝から晩まで玄関のイスに座って今か今かと

待ちわびるので病気になりそうで

心配になるから・・」


といわれて介護している者の身になると
それもそうだと思い・・・
それからは弟や義妹だけにお見舞いに
行ける日を伝えることにしていました・・・


母はそれでも「今度いつ来てくれるんや?」
と帰るときには涙混じりの顔で
わたしの手を離さず
名残を惜しんでくれたのに・・・


わたしは「いつか・・・・」と言う
言葉しか残せませんでした・・・・


今になって「いつか」と言う言葉ほど
曖昧でいい加減な言葉はないと気付きました・・・


「いつか」という言葉には期限がありません・・・
母はきっとわたしのこの言葉で
待つことの無気力さを

虚しく感じたのかも知れません・・・


「いつか」と言う言葉は果てしなく遠くて・・・
人生の終盤を迎えた者にとっては・・・
希望の見えない絶望感を
与えてしまっていたのではないだろうかと・・・・


わたし以外の姉妹弟達が4人とも
母の臨終に間に合ったのに・・・・
わたしにはそれが叶いませんでした・・・


わたしが母との最後のお見舞いの時に
今度いつ来るかという母の言葉に・・・


「いつか」という言葉を使ったばかりに
母はわたしを待たずに
旅立ってしまったのじゃなかろうかと・・・
今も尚詫び続けるわたしです・・・


物忘れだけが順調なワタクシメハ
不意に・・・「いつか」と言う言葉を思い出し
遙か昔を思い出しています・・・