先日の永代経法要の際の訳のわからなかったお話が
少しずつ思い出されて参りましたので

内容をかなり省略して
かいつまんでお知らせいたしますね・・・

仏教法話は禅問答で・・どんな答えも皆正しく
回答は常に自分の心の中にあるという・・・

わかったようなわからないようなお話ですが
それなりに受け止めてきました・・
 
今回は「辺際なし」という言葉について語られましたが
すべての人はもれなく自己中に生きている・・・

たとえば自分の目線の前に缶ジュースを1本置いて
「自分の見えたままの形を言ってください」と言うと

ほとんどの人がそれは「長方形です」
と答えます・・

今度は缶の底の方を見せて
「これは何の形に見えますか」と質問すると
 
「それはまるです」と答えます・・
 
最後に目の前でくるくる回し上下を見せて
この形は何ですかと質問すると
やっと「円柱です」と言う答えが返ってくるわけです・・

それぞれの見え方によって答えはみんな合ってます・・・
でもそれは現実からはかけ離れています・・
 
全体を目でみれば解決できることでも
人は自分の一方的な方向からの見方によって
 
物事を判断してしまうという習性がありますね・・・
これを自己中といいます・・・

ここまでは「辺際あり」の話ですが・・・
 
「辺際なし」というのは自分の目で見て
ここからここまでと言う範囲の指定ができないことを
指します・・・

たとえば恋人同士で彼女が
「私のことどれだけ愛してるの?」と彼に聞いた場合
 
「聞かなくてもわかってるだろう!最高に愛してる」
と口ではいくらでも言えるけど・・
 
目に見えないものは辺際がないため
確かめようがない・・・
嘘か本当かわからないものです・・・
 
もし愛にも辺際ありとした場合には
「私のことどれだけ愛してるの?」と聞かれた場合
 
胸から取り出した愛の大きさがとんでもない
チッポケなものかもしれない・・・
 
「あら?たったこれだけ?」といって嫌われる場合も
あるかもしれない・・・
 
世の中には人が目で見て確かめられる辺際ありより
人の目に見えない辺際なしのほうが
かなり大きな比重を占めています・・・・・
 
自己中というのはすべての人に通じることですが・・
辺際なしの無限の空間の人の心の動きまでは
誰も理解できないし把握できないものです・・・
 
人を見るとき・・社会情勢を語るとき
見落としてはならないのは・・・
 
目に見えるものや聞いたことだけで物事を判断せず
その奥は虚空で、広大で辺際がないということを
覚えておいてください・・・・・・
 
だったと思います・・・

なにせアンポン頭ですから・・・
間違っていたらお許しくださいませ・・・・