ある人が友人にこう言われたそうな・・・・


「あんたのとこの宗教は簡単でいいの~
ただ一つ南無阿弥陀仏と言うだけで
どんな人も平等に助けられるそうだから・・
そんな楽な宗教はないわ~」


この言葉を投げられた友人は
一言も返す言葉がなかったと言う・・・


自分もそう聞いていたからそう言っただけで
深く考えたことはなかったと言う・・・


それで気になって菩提寺の住職に
その意味をお尋ねしたと言う・・・


その住職はそれを現実の問題に置き換えてわかりやすく
こう説明されたと言う・・・


「条件とは後からいくらでも付け加えられるものである。


たとえばたった一つだけ南無阿弥陀仏で救われるというのが
不安定で頼りないと思われるなら・・・


じゃあ条件を付けましょうと言い
「今日から毎日おうちで南無阿弥陀仏と100回唱えなさい」
と言うとほとんどがこの条件をクリアできる・・


「次に毎朝6時にお寺へ来て本堂でそれを100回唱えなさい」と
条件を付けると


都合が悪い人が出始めて人数は減るだろう・・
それでも近くにいる人はかなりクリアできるだろう・・

さらにクリアできた人に
「今度は京都の西本願寺で毎日南無阿弥陀仏と唱えなさい」
と条件を付けると

暇とお金がない人にはとても続かない・・

それでも京都にホテルを取り毎日西本願寺へ通いづくめをして
その条件に見事打ち勝つことができる人がいるだろう・・


そうなると最後にその人はどうなるのだろう・・

勝ち残った人はたくさんの挑戦者を蹴落として頂上に立った優越感と
自分ほど優れた者はこの世にいないなどといううぬぼれで充たされてしまう・・・

自然と人を見下す習慣が身に付いてしまうだろう・・・

又負けた人は自分は敗北者だからもうダメだという失望感と・・
もう阿弥陀様も勝った人だけしか救いの手をさしのべてもらえないのなら
見捨てられたという思いが強くなる・・・


条件というものは何も付けられていないところが
何にもまして広がりがあり奥が深いものがあります・・・


どんな人もどんな条件も付けず一人残さず
南無阿弥陀仏という一言だけで救いますよ・・・


安心しなさい・・・「南無阿弥陀仏」はわたしの名前です・・
それを呼んでくださった方はみんな平等に救いますよ・・・


ただ一つだけ・・と言う意味は
そういうとても深い意味があるのです・・・。


と訪ねた友人に住職そう答えられたと言う・・



わたしは桝添さんを見ていて・・・

なんとなく・・・


あまりにも難しい条件をクリアして登りつめた人の最後を
見たような気がしました・・・・