姉が言った・・

満92歳になった母のことを・・・



「お母ちゃんは自分で何もできなくなって
義妹や介護施設でお世話になってからもう
かなり長いことたってるけど・・・



あんなに体の弱いお母ちゃんでも78歳までは
団体で老人会のバス旅行へ行ったんやで・・



私が78歳になった時にはもう
そんな元気ないかもしれへんわ・・・



最近バスの乗り降りがきつくなってお父さんに
乗車口で引きずり上げてもらわないと上がれへん・・・



先日お母ちゃんのところへ見舞いに行った時に
紙おむつを交換してあげようと



お母ちゃんの体を支えたらバランス崩して
私が先にベッドの下へひっくり返ってしもたわ・・・



お母ちゃんはベッドに座らせたままで
動かなくて大丈夫やったけど・・・



もう少しでお母ちゃんの上へ一緒に倒れてると
複雑骨折させて大変なことになってたかもしれない・・



私今年で73歳やで・・
今からこんなんでは先が思いやられるわ。」と・・



・・・そうよ・・・
母は・・姉の年で・・年子の妹が腰の手術した時に1ヶ月間

日赤病院へ付き添って甲斐甲斐しく世話をしたのよ・・・



母は細かったから・・・ボンレスハム並みの姉ちゃんのように
お酒を呑んだりひっくり返ったりはしなかったよ・・・



姉ちゃんそりゃ・・・二日酔いで足がもつれたんじゃないの・・?



と言いたかったけど・・
余計なこと言うと大目玉食らうから黙っていた・・・



姉はお酒もタバコも呑まず真面目で心優しい義兄と
海外旅行をしたり日本全国を食べ歩き旅行したり・・・



そのたびに荷物や買い物はみんな義兄に持たせて
何かあると「おとうさ~ん助けて!」と呼び
義兄に頼りきっている・・・



4女クンも義弟は姉の義兄に似ていて心優しくて

何もかも自分が手配し国内や海外旅行に連れ歩く・・・



姉と4女クンは「うちらの旦那は当たりが良かった。

お父ちゃんと一緒の性格やし・・」といつも自慢してる。



母も・・そうだった。



父は何もかも段取りして母を旅行に連れ歩いた・・・
母が疲れないようにと小松から飛行機に乗せて
東京見物に連れて行った・・・



父がお嬢様のように母を大事に扱い

重いものを一切持たせず
何から何まで自分が動いて母を大切にし尽くして・・・



亡くなるときは母のことを義妹に頼んで亡くなった・・
母は今でも優しい父が好きだったと言い続ける・・・
あの年齢で・・・



私が好きだと言えた年齢ははるか昔・・・・
その気持はホコリが被って埋もれている・・・



私と年子の妹は・・・
お坊ちゃん育ちの相方を持ち何から何まで
お世話をしなければならなかった・・・



年子の妹は旦那がお風呂からあがるのをお風呂の外で
下着とバスタオルとタオルとコンタクトレンズを持って
待ち続けてると言ったし・・・



私は・・相棒が自分で靴下も履かないので
毎日靴下をはかせネクタイを締めてやり靴を磨いて
仕事へ送り出した・・・



実家へ行っても相棒のその癖は直らず
相棒はソファに座って私に靴下を履かせろ・・
と言ってるのを見た姉が・・・



「Yさんそんなことぐらいは自分でしなさい。
なんのためにその手が付いてるの!」



とピシャリと言ってくれてそれからは相棒は
靴下を履かせてくれと言わなくなった・・



年子の妹と私は相方が大酒飲みで

過保護で何も出来なくて
何もかも自分でやらねばならず・・・



更に親の介護も重なって・・・
二人共前後して腰を痛め同じ所を手術をした・・・



私達二人は甥っ子や姪っ子の結婚式に夫婦で
県外へ出かけることはあっても



相方と二人だけの旅行経験もないなら・・
もちろん海外旅行もない・・・



旅行先でまで酔っ払ってこき使われるのは気が重い・・・

という思いは年子の妹と共通していた・・・



妹の旦那は年金をもらう直前に64歳で亡くなった・・



妹は毎日仏壇に手を合わせ・・



「お父さんのおかげで毎日こんなに楽をさせてもらっています・・
ありがとう!」と拝んでると言うけど・・・



母みたいに旦那さんを好きだったという言葉は一言も無い・・・



・・・Kさん・・救急車で運ばれて


そのまま呆気無く亡くなってもうはや3年経つんですね・・・・




・・・ 妹をやっと自由にしてくれてありがとう・・・・






ろくでもないことを書き並べました・・・


お見苦しい点がありましたらお許しくださいませ・・・