人の縁とは不思議なものである・・



父と母が知り合ったのは母が5,6歳の頃で

父が15,6歳の頃だった・・・




母の実家は昔は庄屋をやっていて山や田畑も多く

家畜も飼っていてお手伝いの人を住みこませて

仕事をしてもらっていたという・・・




母が幼いころ父も母のうちへ仕事の手伝いに来ていて
父はお風呂の水くみや

お風呂沸かしや薪割りを手伝っていたそう・・・




母もまだ小さいくせに父を使用人だと見て

父のことを呼び捨てで用事を命令し
結構生意気で威張っていたという・・・




こんなきれいな人が
自分の嫁になってくれたら嬉しいな・・とか感じても




大金持ちの娘が水呑百姓の自分のところへ

来てくれるわけないと思っていたという・・




母にあるとき、星の数ほどある縁談を振り切って

10歳も年上の身長も顔も、もうチョイ男を

なぜ選んだのか聞いたことがあった・・




母は「お父さんはとても親切で優しくて頭の良い人だった
この人についていけば大事にしてくれるとわかったから・・」
と言った・・・・




幼いころから自分の家へきて使用人として働いていた

父の働きぶりを見ていたから言えることだった・・・

父は学校を出ると公務員になった・・





父は大きな声で母や子供をどなったこともなく
誰にも手を挙げたこともなく優しくて

くそまじめでまっすぐな人だった・・




公務の傍ら休みになると4人の子供たちを連れて
汽車や船に乗って日帰り旅行に連れて行ってくれた・・




姉は同級生に「あなたのお父さんは精力絶倫ね」
と言われたのが恥ずかしくて・・・




絶対姉妹5人そろって出歩くのを嫌がり
母と二人とかで出歩き




母と親子として見られず
姉妹で見られる楽しみを二人ともが味わっていたみたい・・・




後は中略・・・




私たちはこの年になると・・・

嫌もっともっと前から・・・




アンニャロウメが芽生た頃から

子供の前でお父さんが好きだったなんてことは

正気である限りとても口に出せない言葉だけど・・・




母は惜しげもなく私はお父さんが好きだ・・とか

好きだったとか堂々と私たちの前で宣言していた・・・




マジかよ・・・とか思ったけど・・・
どうやらその気持ちは本当らしい・・

今でもそういい続けてる・・・・・




死ぬまで相手にそう思われて続けて
死んでからもなお愛されている父・・・・




背が低くて甲種合格にならず
乙種合格で戦地へ出向いて・・・




身長がたらなかったのが幸いしたのか・・・

玉が自分の頭の上をかすめて通ったのか・・・・
二度も戦地から生還した父・・・




その父を母はずっと待っていて・・・
亡くなってもう7年たってしまったのに

まだ忘れずに父を愛し続けてる母90歳・・・・




その気持ちをそっくりそのまま包んで

命のある限りもう少しこのまま

こちらにいてくれるようにと願っています・・・




慌てなくても父はずっと母のことを気にして

見守っていてくれてると思いますから・・・