春休みが終わって、やっと孫たちの世話から解放され

今度は、ゆっくり自分の趣味の書道やリフォーマーの資格取得

のために、時間を費やそうと手を付け始めたとたん、

「おばあちゃん!またお邪魔しました。

朝ごはんまだ食べていないので、よろしく。」

娘が、3人の孫を連れてやってきた。

「また来たんかい。」・・・・・・・・

春休みの2週間、自分のことは何もせず、孫が怪我をしないように

孫がお腹を空かさないように、清潔であるようにと、

そればかり気にして、やっと無事に任務を果たし

お世話係を、無罪放免になったばかりだというのに


「連れてくるのがいかにも、早過ぎじゃござんせんか?」


娘は、仕事で疲れたと言ってそのまま、3人の子どもを

放置し、こたつに入って崩れるように眠り込んでしまった。


ここで、私は自分の心のあり方に、余裕がないことに気付く。


自分の精神や時間に、たっぷりの余裕があれば、

仕事の期限が迫っているのに、こんなことをやっている間に

大切な時間が、どんどんなくなってしまうとか

親を頼りにして骨休みに来た、大事な娘や孫を否定するような

言葉は出ないはずである。

一瞬でもそういう、余裕のない心が、ちらついたことが

恥ずかしく思えた。


時間はこれから死ぬまでたっぷりあり過ぎる。


学ぶことをあきらめない限り、期限なんて延びたって

気にしなくちゃ、ないのも同じ。

それよりも、この一瞬、一瞬が、この孫たちの健やかな

成長の手助けになるならば、私は、あえて

踏み台になってもいい。

そう感じて、またまたお世話係です。

まあ、人に頼られる事は、嬉しい限りでございますが、


とか言いながら、下手な書道の競書作品だけは、

期限いっぱいで間に合ったが、リフォーマーの

通信教育の課題は孫たちが触ると危なくて

とうとうロックミシンが出せずじまいで期限切れ。


春の日差しが暖かく、桜の花が満開で

この世のものとは思えないほどきれいです。

ここに、元気でお花見が出来る今日を、有難く思います。