主人は6人兄弟の末っ子である。戦後まだ食べ物が十分にあたらなかった時
母親が作って食べさせてくれた味が忘れられないと言って、
私に「菜めし」や「すいとん」を作って食べさせてくれとよく言う。
主人は、街中で生まれ、食べ物は、力のある10歳違いの兄たちに
みんな横取りされ、母親が隠して後から食べさせてくれたそうだ。
私は、父親が戦後、捕虜生活を2年して、引き上げて来てから
生まれた子だから、そんなに食べ物があたらない貧しさを経験したことが
なかった・・・自宅には山や田畑もあり食べ物は自給自足で賄っていた。
主人の母親の思い出料理と言われても
何をどうして作るのか、調理師免許は持っていても
作ったことのないものは分からない。主人と一緒に台所に立ち
主人が母親の記憶を辿りながら、おぼつかない断片を繋ぎ合せて
指図するのに従い
作りましたよ。昭和20年前後の思い出料理「菜めし」と「すいとん」
結果は・・・「うもうない!!」(まずい)
「おっかあは何をやらしても天下一品の味付けだったのに、
おめー、それでよく調理師の免許が取れたな。それ偽物じゃないんか」???
そこまで言われて、黙ってはいられない。
十分言葉の応戦を繰り返すこと約30分。
お互いに、お腹が空きすぎて、先ほど食器によそった
昭和の貧困食。「菜めし」と「すいとん」。
少しは冷えて味のほうも沁みわたり、
これがなかなかのもんでしたよ。
小麦粉団子と大根葉のてんこもり。
結構お腹にも優しくエコ食事が出来ました。
・・・でも、おかわりは、結構です・・・・
「おめー、これの美味しい食べ方がわかったぞ。これはな、
腹が空きすぎて、目が回りだしたら味が分かるという代物や。
いい勉強になっただろう?」
・・・・・・ばーか!お前が目を回してろ!・・・
母親が作って食べさせてくれた味が忘れられないと言って、
私に「菜めし」や「すいとん」を作って食べさせてくれとよく言う。
主人は、街中で生まれ、食べ物は、力のある10歳違いの兄たちに
みんな横取りされ、母親が隠して後から食べさせてくれたそうだ。
私は、父親が戦後、捕虜生活を2年して、引き上げて来てから
生まれた子だから、そんなに食べ物があたらない貧しさを経験したことが
なかった・・・自宅には山や田畑もあり食べ物は自給自足で賄っていた。
主人の母親の思い出料理と言われても
何をどうして作るのか、調理師免許は持っていても
作ったことのないものは分からない。主人と一緒に台所に立ち
主人が母親の記憶を辿りながら、おぼつかない断片を繋ぎ合せて
指図するのに従い
作りましたよ。昭和20年前後の思い出料理「菜めし」と「すいとん」
結果は・・・「うもうない!!」(まずい)
「おっかあは何をやらしても天下一品の味付けだったのに、
おめー、それでよく調理師の免許が取れたな。それ偽物じゃないんか」???
そこまで言われて、黙ってはいられない。
十分言葉の応戦を繰り返すこと約30分。
お互いに、お腹が空きすぎて、先ほど食器によそった
昭和の貧困食。「菜めし」と「すいとん」。
少しは冷えて味のほうも沁みわたり、
これがなかなかのもんでしたよ。
小麦粉団子と大根葉のてんこもり。
結構お腹にも優しくエコ食事が出来ました。
・・・でも、おかわりは、結構です・・・・
「おめー、これの美味しい食べ方がわかったぞ。これはな、
腹が空きすぎて、目が回りだしたら味が分かるという代物や。
いい勉強になっただろう?」
・・・・・・ばーか!お前が目を回してろ!・・・