現在自分の回りにあるもの、それらが
どこに片付けてあろうと、ころがっていようと
ただあれば、それが当たり前で、特別にどうこう
感じたことはない。人に対しても、物に対しても
同じように、そこにある、という安心感だけで、感謝も
しなければ、特別な感情もわいてはこない。
ところが、ある日、いつも使っている、例えば口紅
が見当たらないとしょう。もうかなり使っていて、古くて
あと僅かしか残っていないような口紅。
無くしたと感じた瞬間、「私は、あれが気に入っていた。
色も好きだったし、感触もよくて自分の顔映りが
一番良かったのに、」とか
無くして初めて、今まで無造作に使っていた
物へのありがたさに気づくことがある。
亡くなった人に対しても、生きている時は、
しつこいほどの大酒飲みで、いやだと感じた事が
あった父が、亡くなってみると、日を追うごとに
叱られた顔がほとんど思い出せなくなり
あの時、ああしてくれたとか
こんなふうに優しいところがあったとか
思い出すことは楽しかった日々のことばかり。
感謝も出来ずに、当たり前のように、接した
私自身を、今となっては、大いに恥じる。
絵画でも、画家が亡くなって初めて絵の価値が
出るように・・・無くした物の価値は大きい・・
無くして初めて、その存在のありがたさに気づく・・