世田谷パブリックシアター開場20周年記念公演「
子午線の祀り」を観劇してきました。
世田谷パブリックシアターの芸術監督を務めておられる野村萬斎さんの演出・主演です。
「平家物語」は数年前に私の中で戦国ブームが起きた折に読んでいて、今公演の原作の木下順二作「子午線の祀り」も昨年のリーディング公演前に予習として読んでいました。
本当はもう一度、子午線の祀りを読んでから観劇したいと思っていたけれど、着物にうつつを抜かしていて断念。
群読を生かす配置や最小限の動きで舞台の構造を変えるあたり、なにより影身の内侍の人であって人ならざる存在感を表出させる演出はまさに狂言師の野村萬斎さんの本領発揮!に感じました。
もちろん、影身の内侍の存在感は、若村麻由美さんの力あってのもの。それが前提。なんとなく、人である部分は若村麻由美さんの本領が発揮されていて、人ならざる部分は萬斎さんの演出が発揮されていたように感じたのです…実際はどうなんだろうなーメイキングとか見たいなー。
萬斎さんの演出は舞台「マクベス」から数えてまだ2作品しか拝見していません。が、萬斎さんの蓄積なのかあるいは天才なのか分かりませんが、2作品とも冴え渡って素晴らしい。
壇之浦の二位の尼入水のところは、もっと平安風情が出ていると哀れみを増幅させたかも知れませんが、恐らくここでも徹底して俯瞰している。影身の内侍の目線を貫いている。
のだと思う。
(けど、平安風情も求める私…。)
子午線の祀りは休憩挟んで4時間の舞台で、台詞が多く説明的になってしまうのが私には少し残念に感じられましたが、これは好みの問題ですね。
皆の台詞が多いことで、知盛の苦悩がかき消されてしまう印象なんだな…。
萬斎さんの身のこなしはさすがに美しかったです。出来れば萬斎さんの身のこなしをじっーと見ていたかった。(怖い)
台詞も聞きやすかったんですが、萬斎さんって狂言の時の声の出し方と舞台や映画の時の声の出し方が全然違う気がする。
後者は喉から出てるような。台詞の早さに由来するのかな。
とにもかくにも、どうしてあんなに若いのだろう。なに食べているのか教えてほしい。燕の巣とか食べているに違いない。
成河さんの義経はかなりのハイテンションで笑いも起きていましたが、天才と狂気が紙一重な感じで、実際義経はあんなだったのかなーと思わせるものがありました。
才気溢れるが故に潰される例は歴史に多いけれど、それを頼朝もしたっていうのがなーんか私には腑に落ちないんですが。
私の歴史考察なんてどうでもいい。
河原崎國太郎さんの宗盛、村田雄浩さんの阿波民部、星智也さんの弁慶、今井朋彦さんの景時など素晴らしく、舞台の良さを再認識させて頂ける演技でした。ああ、また観たい。
なにより、やはり、若村麻由美さん。
美しくて、人ならざる雰囲気が強くて、目が離せない。素晴らしかったなー。
4時間、たしかに長い。
終電に間に合うかが気になって気になって舞台の世界に没入出来なかったから余計長く感じてしまい…残念。
でも、また観たくなるのは本作に力がある故でしょうね、間違いなく。
リーディング公演は壇之浦の躍動感に目を奪われましたが、本公演はむしろ生死そのものに向き合う作品になっていた。
生死がテーマになる本作、特に、生を経ての死にクローズアップしていると感じられる本作は、人を惹き付けます。
私が生の美しさを強く実感したのは、父の亡くなった時。
自らが死ぬ時に俯瞰して人生の美しさを実感するのは至難の技ですが、残される者はそれを強く実感する。そこに、故人から残される者への最後のギフトがあるように思われる…父の死にそう思いましたし、こういった舞台に昇華されていく知盛の生死にも、意味がある。
作家とか役者とかってやはり尊い仕事だなーと思います。
本日千秋楽。