「こんなに辛いこと・・・・・一生忘れない!!!!」

 

 

と、次男妊娠中に思った私ですが

 

そんな次男も今年7歳。

 

 

「あれ。何がいつだったっけ・・・・真顔

 

 

と、ほぼ忘れている私です。おはようございます。

 

 

取材をしていただくと、過去の事実や想いを振り返ることができて

 

 

「そうだった。あんなに辛かった・・・・」

 

 

と、思い出させてもらえるのですが

 

 

結局のところ何が辛かったかって

 

 

・「ゆかは選ばれてきたんだよ~」と言われた

・「ダウン症のある子は天使だよ~」と言われた

・「妊娠継続するかどうか、もっとちゃんと考えるように」言われた

 

 

とかじゃなくて、

 

一番は、「どうなるか全く予測がつかなかった。」こと。

 

色んなブログを読んでも、当時は

 

羊水検査をして生んだ、という人が見当たらなくて・・・

 

 

 

何がなんだか、どうなるのかさっぱり分からない状態

 

 

を、どう頑張ったらよいのか?が、分からなくてしんどかったのだと思います。

 

 

 

もっと言うと、

 

「特に頑張る」必要もなかったのでしょうけど

 

何かあるたびに「頑張れ、頑張れ」の時代に生きてきた私は

 

何かを乗り越える手段として「頑張る」しか知りませんでした。

 

 

ゆっくりする

手を抜く

どうにかなる

 

 

なんて、手抜きしてるようで サボっているようで

 

当時は自分の心がボロボロになっていたのに

それでも頑張っていて、しんどかったんだな。

 

しかも別に、誰に言われたわけじゃないので

自分で勝手に頑張って、自分で勝手に疲れていた(笑

 

 

「ダウン症があると知ってて生んだんだから泣いちゃいけない!」

「知ってて生むのだから、弱音ははいちゃいけない!!」

 

 

と、鞭、打ちすぎ。

 

 

産後は、変な産後ハイみたいになって

 

「よーーーーーーーーーーし!!!頑張るよーーーー!!!」

 

 

って、やってたので、途中心が折れた(笑

 

 

そして、かわいい赤ちゃん時期に

 

ソスケを可愛がることじゃなくて

 

 

「赤ちゃん時期だからできること!!!」

 

を、模索しすぎて可愛がれきれなかったー。もったいない。

 

 

 

今も、色んな人からご相談を受けたりお話を聞かせてもらうことが多いのですが

 

 

「生まれた赤ちゃんにダウン症がありました。」

「お腹の赤ちゃん、検査でダウン症があると分かりました。」

 

 

そうお話聞くたびに

 

私と同じ後悔をしないように!!!

 

と、色々とお伝えしちゃってます。

 

 

今年7歳になる次男も、可愛いんですけど。

 

 

そういうことじゃなくて、

 

 

時間は取り戻せない。

 

 

それを日々実感。

 

 

 

次男にダウン症がなかったら、きっと色々ラクチン。

 

 

でも、我が家のバランスはどうなっていたんだろう?

 

 

なんてことも、最近感じます。

 

 

「分からない」って、不安になります。

 

どこに向かっていいか分からないから。

 

「頑張って」きた私は、方向を見失うと急激に不安になります。

 

 

そこで、生きる力の強い夫。

 

 

「なんとかなるわ~~~~口笛

 

 

この魔法の言葉。

 

一見無責任。

 

だけど、魔法の言葉。

 

 

超がんばっているときには「ちょっと!一緒に頑張ってよ!」

 

って、イライライライライライラしてましたが(どんだけ笑)

 

二人で同じくらい頑張ってたら、共倒れしてたなぁ。。。。

 

 

と、今なら

 

今なら分かります。

 

 

 

何が言いたいか分からなくなってきたので、

 

このへんで。

 

 

次男。小児病棟にうつった頃。だいぶかわいい照れ

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なのに、私は退院してからの

「あれをやる!」

「これをやらなくちゃ!」

 

で、戦闘モードでした。何と戦っていたのだろう。

 

 

 

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