宇徳敬子さんは『光と影のロマン』に、次のような思いがあります。

「人ってみんな、ロマンを求めながら生きていますよね。でも、現実社会に惑わされたり、何かの形に縛られてしまうことで、追いかけている夢とか諦めちゃったりするじゃないですか。」

「でも、最終的にはロマンを忘れたくないなって・・・。」

「真実の光や本当の自分というものを追いかけていけたらいいなって・・・」

「私は特別強いわけじゃなくて。強くなりたいって思ってるからこそ強さや前向きさを歌で表現しているんですよ。」

「“強くなりたい”という意思をどう伝えるかが大事になって来ます。そのためにも、“自分はこうありたい”っていう確信は持っていたいなって思ってるんです。」

「人生って結局“ロマン”で始まって、“ロマン”で終わっていくという、永遠の愛しさみたいなことを感じてもらえたら・・・という思いで作りました。」

僕は、思いました。

自分は、“こうありたい”と理想を大切にしている宇徳さんって、いいなぁと思った。芯の強い女性だと思いました。

僕は、『光と影のロマン』を聴いて、宇徳さんの優しさの中にある強さを感じ、僕も“強くなりたい”という気持ちになります。

自分が“こうありたい”という理想を大切にしたいと思う。

僕も、ロマンで始まって、ロマンで終わっていきたい。

宇徳敬子さんの『光と影のロマン』は、メロディーも好きだけれど、光と影がバランスをとりながら、ロマンを追い求めていくという生き方が良いという、哲学的なところに惹かれます。

宇徳敬子さんが
『光と影のロマン』の曲について、次のように言っています。

「人はロマンを胸に抱いて、ずっと追いかけながら終わっていくといいますかどこまでも続いていくんですけど。」

「現実が目の前にあって、夢とか野心を全部諦めかけることもいっぱいありますけど、帰ることができる場所もありますし、故郷を思い出しながら、そういうそれぞれの原点を思い出しながら、・・・“また挫けず頑張っていこう!”っていうね良い時も悪い時もあってそういう光と影がプラスとマイナスバランスをとっていく・・・そういう生き方がいいんじゃないかなっというそんな曲です。」

「人生には良い時もあれば悪い時もありますよね。でも人間て、たとえどんな時でもロマンを追い求めながら生きてる・・・だから、光と影のロマンなんです」

僕は、光と影について、次のように考えています。

僕は光だけ見たり、影しか見ないという、せまい視野、せまい角度になってしまいがちです。

せまい視野だと、光と影が互いに調和できないで、矛盾の中でバランスがとれないで、光を過剰に求めたり、影の中で過剰に入り込んでバランスがとれないようになります。

でも、宇徳敬子さんの「光と影」の考え方は、まるで哲学者のように、物事の輪郭と表裏の全体像をつかんでいるように感じました。

光と影という矛盾した2つをもってきて、どっちかを二者択一にしないで、両方に言い分があるだろうと相互応答の中で生きる決意をする。

それと、光と影がバランスする表現も、哲学や仏教の中庸や中道のようで、精神の力強さを感じました。

矛盾があるからこそ、バランス感覚が必要だと思いました。

影があるからこそ、本当の光があるのだと思う。

僕は、光と影のバランスをとりながら、ロマンを追い求めていきたい。

君の笑顔を見ると、こっちまで、笑顔になりますニコニコ

君が笑顔でいて欲しいなぁにひひ

君が幸せでいて欲しいニコニコ

君が、笑顔でありますようにニコニコ