悲嘆の研究で有名なJ・W・ウォーデンは、悲しみについて、次のように述べています。

喪失の事実を受けとめ、悲しみを十分悲しむこと。悲しい気持ちを表現せずに過ごす人もいます。しかし、十分悲しまないと癒されません。悲しいことがあって、悲しむことはあたりまえだからです。

男は、簡単に泣いたりしてはダメだと思いますが、あまりに悲しいことがあると、溜めていた感情を涙で洗い流すと気持ちが癒された経験があります。

また、グリーフケアの高木慶子さんは、次のように言っています。

ひとりひとりの悲しみが、悲嘆が癒されていくならば、とても優しい人になれるんです。苦しみを知っている方は、「本当にね、悲しいんだから、つらいんだから、そして、限られた人生だから、みんなが悲しいし、苦しんだから、優しくしましょうね。」という言葉が出てくるんです。それが悲嘆がだんだん、癒されていった姿なんですね。

自分の中に、とてもつらい経験もあった。うれしい経験もあった。そういうものを通しながら、自分が本当につらいときに、優しくされた思い出のある方は、

「そうなんだ人は、自分がつらいときに、優しくしてもらったら、どんなにうれしいか。そして自分がこんなに苦しいんだから、みんなが親切にし、思いやりを持ったら、本当にお互いうれしいだよね。」というのが、合言葉になるはずだと思うんですよ。

僕は、宇徳敬子さんの「よろこびの花が咲く」のメッセージように、「痛みを知ることで、人は強く、優しく、慈しみ合う心を持っているから」を思い出しました。

悲しいとき、つらいときは、宇徳敬子さんの優しく温かいブログと、音楽で癒されます。まるで、乾いた湖に雨水が染み込んでいくように癒されます。

宇徳敬子さんのおかげで、僕の傷ついた痛みを洗い流してくれます。

宇徳敬子さんのブログを読むと温かい気持ちになります。

宇徳敬子さんの歌声を聴くと優しい気持ちになります。

宇徳敬子さん、愛情のこもった音楽、本当にありがとう。

宇徳敬子さん、温かいブログ、本当にありがとう。

推理小説の作者で有名なギルバート・キース・チェスタトンの言葉です。

「平凡なことのほうが非凡なことよりもよほどに非凡である」

つまり、「平凡の非凡」は、平凡さの中に、ほんとに非凡なことが隠されているんだということです。

あたりまえの中に、あたりまえではないことが隠されているということ。

深い言葉として、日常生活の平凡さの中に非凡さを見つけるときがあります。

病気で苦しいときに支えてくれる人がいることは、本当に感謝すべきことです。

映画では、病気と生き方がテーマであった「わたしの中のあなた」という映画がありました。深く考えさせられる映画でした。

死生学では、死の擬似体験の授業があります。

大切なものは何か、時に考えると生き方が変わると言います。いかに、周りに支えられてきたか、死の擬似体験で気づきます。

形ある大切なもの。

大切な活動。

大切な人。

形のない大切なものを

三つずつ、合計十二の大切なものを書いてもらい、病気の進行に伴って、その中からあきらめていくものを一つずつ破っていきます。

本当に大切なものは、何だったのか。何のために生きてきたのか。手放す過程で、こうした問いに答えていきます。

テレビで見たのですが、授業を受けている生徒は、涙をながし、悲しんでいました。僕も、想像してやったのですが、つらく苦しいワークです。

でも、このワークを通して、本当に大切なものは何かということに気づけます。

授業の生徒で、最後一つに共通して残るものは、形のないものとして、愛や感謝、信頼といったものが多いです。このワークに参加すると、それぞれ自分にとって何が大切なものであったかを発見します。目に見えるものや、形にこだわりますが、死に際しては、目に見えるものよりも、目に見えないものが大切だと感じる人が多いです。

生きる課題は、死があるから出てくる課題でもあります。生き方の中に、死をふくめて考えていくのが死生学の考え方です。

テレビで藤井美和さんの、大きな病気から学んだ話は、心に響くものがありました。

藤井さんの話を聞いた生徒は、ワークのあと、死を前に伝えたかったことの多くは、「これまで育ててくれてありがとう」「天国から応援しているよ」といった残される人への思いです。

たましいの痛みに苦しむなかで、心の支えになるのは、周りの愛してくれる人や、家族であったりするのではないかと思う。

天国にいっても、また逢えるという永遠の愛が存在してほしい。