鉄道旅 〜 水戸→原ノ町→仙台 | なすの258号のブログ

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鉄道のことを中心に書こうと思います。


上野から、常磐線を北上して、水戸まで来ました。

水戸からさらに、常磐線を北上します。



隣に、いわき行きの電車が待っているのですが、この電車には乗りません。
時刻表で調べると、この電車がいわきに着き、次に原ノ町へ行く電車は、水戸始発になるので、水戸で後続の電車を待つことにしました。



水郡線の列車を見つつ、待っていると、E531系の5両編成が入ってきました。。


この電車。先程、勝田行きに乗っていたとき、内原で5両編成のE531系が隣で待っていたので、その電車が回送列車として、入線してきました。

鉄道旅を計画するときに、時刻表で列車のダイヤを調べると、よく見かけるダイヤがあります。この常磐線で例えると、勝田まで行く列車に乗ると、その一つ手前の水戸から、勝田やいわきよりも先、原ノ町まで運転する列車のダイヤがあります。
もちろん、勝田でも乗り継ぎは可能ですが、座席を確保するなら、水戸から乗るのが一番かなと思います。



原ノ町行きの普通列車は、勝田を出発し、勝田車両センターの脇を通過します。

大甕の“甕(みか)”←という漢字は、なかなか見ない漢字なのと、初めて見る人には、少し難しい漢字かと
思います。

電車は、日立駅を出発すると、線路沿いに日立の工場群が見えてきます。

こちらは、家電などを製造する工場のようです。

ちなみに、新幹線や地下鉄など、鉄道車両を製造する日立の工場は、山口県の笠戸にあります。

日立から、常磐線からは太平洋が見えてきます。




大津港は、常磐線の茨城県内の駅では最後になります。

トンネルを潜れば、そこは福島県。
勿来海水浴場の海岸を見ながら、電車はひた走ります。

常磐線も海沿いを走る路線ではありますが、羽越本線や信越本線、広島の呉線などと比べたら、海岸沿いを通る区間は、意外と少ないかも知れません。

この区間もほんの一瞬限りで、線路はすぐに内陸側を走ります。



植田と泉との間では、新しい道路を造っていました。


常磐線には、“泉”という駅があります。
同じ福島県内で、東北本線には“泉崎”駅があるので、よく知っておかないと、混同してしまうかも知れません。

泉では、小名浜へと続く、福島臨海鉄道を跨ぎます。


常磐線の湯本駅は、スパリゾートハワイアンズもある温泉街です。
昔は、常磐炭鉱で栄えた所で、湯本駅の近くには、石炭化石館もあります。


水戸から乗ってきた、普通 原ノ町行きは、いわきに着きました。


昔は、平(たいら)と読んでいましたが、こちらも“いわき”に、改称しました。

品川行きの特急ひたち号を見ながら、原ノ町行きの電車は、30分程停車していました。


いわきからさらに、福島県内を北上します。


四ツ倉は、上野から四ツ倉行きの普通列車があったことを思い出しました。

四ツ倉から、常磐線は単線になります。


そして、各トンネルの横には、昔、常磐線が非電化時代に使われていたトンネルがありました。


非電化から電化にする時は、架線の部分も確保しないといけないので、トンネルを掘り直す必要があります。

今まで、海沿いを走っていた常磐線は、トンネルを潜り抜けると、線路は内陸寄りへと進み、海からは次第に離れていってしまいます。

福島県内の海岸は、断崖絶壁になっている所があり、鉄道を通すことになると、海岸よりも離れた場所を選ぶしかありません。



夜ノ森では、特急の行き違いを待ちました。



大野から双葉にかけては、13年前の震災の時、原発が事故を起こした帰宅困難区域になり、常磐線は全線で運転は再開したものの、家の瓦屋根部分が、一部崩れている箇所のある家もあるので、着の身着のままで逃げたんだなと、この家を見て思いました。


震災により、家が減った分、その余った後に、太陽光発電設備が目立ち始めました。


今、日本の土地では、メガソーラー発電の乱開発が跡を絶ちません。阿蘇や釧路湿原にも、ソーラーパネルを設置されてしまって、ある意味、環境を破壊しています。


電車は、原ノ町に着き、原ノ町からは仙台行きの電車に乗り継ぎます。


原ノ町からは、仙台支社の701系が担当します。
常磐線で、福島県内最後の駅になるのが、新地です。
宮城県内に入ると、2両編成の電車内は、かなり混み合っていました。



岩沼から、電車は東北本線へ乗り入れ、終点の仙台に着きました。