【吉備津神社】
アーティスト集団であるカオスラウンジが瀬戸内国際芸術祭2016に出展とのことで、
岡山、香川県に行ってきました。
なぜ岡山なのかと言いますと、
今回カオスラウンジが作品でテーマとした「鬼」について探るには、
桃太郎伝説が残る岡山を通ることは必須と考えたからです。
私はカオスラウンジのおっかけファンをして数年経ちますが、
なぜでしょう、私の興味関心のベクトルの向こうに、
いつも彼らがアートを展開しているのです。
ちなみに私の古代史めぐりは、
私の好奇心を主体として動いてまいりますので、
カオスラウンジの意図したことと違うことを読み取る場合もあり、
必ずしも私はカオスラウンジの作品を正しく紹介はしないかもしれません。
今回もそうでした。
私が民俗学観点から「方相氏」について調べているときに、
カオスラウンジが「鬼」をテーマとした作品を展示することを知りました。
まず私は、吉備津神社に行ってきました。
吉備津神社の祭神である大吉備津彦命が、
桃太郎伝説の由来となったそうなので、訪れました。

このお話は吉備津神社の神主さんからお聞きしたことなのですが、
元々吉備津彦神社は、吉備国の総鎮守でした。
しかし吉備国の分割により備中国の一宮とされ、
分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)
となったのだそうです。
さて、桃太郎のモデルとなった大吉備津彦命ですが、
彼が吉備平定にあたって温羅(うら)という鬼を討ったという伝承が
岡山県を中心として広く知られています。
これによると、温羅は鬼ノ城というところに住んで地域を荒らしましたが、
吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・
留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに討ち、
その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたのだそうです。
ちなみに、温羅という伝説の日本酒もございますw
一度は飲んでみたい・・・!
さて、ここがキーポイントです。
温羅は本当に「悪者」「鬼」だったのでしょうか。
しかし、古事記や日本書紀では、
大吉備津彦命が正義の味方で温羅が悪者だと書かれているので、
史実では完全に鬼なわけです。
史実ではこれ以上探ることは不可能です。
したがって吉備津神社でこれ以上の情報を得ることはできませんでした。
なので、私の旅行計画には考慮に入れなかった鬼ノ城に、
急遽行くこととなりました。
【古代の豪族、吉備国】
さて、ここで吉備国について少し触れておきましょう。
吉備国(きびのくに)は、古代日本の地方国家です。
筑紫、出雲、大和などと並ぶ有力な勢力の一つだったそうです。
また、吉備は古代、巨大古墳文化を有していました。
4世紀からこの内海の近くに多数の前方後円墳が造られていたそうです。
カオスラウンジの作品の近くには円山古墳というものがあるのですが、
それも4世紀ごろにつくられたとされています。
聖徳太子よりもちょっと前。
聖徳太子は存在しなかった、という説がありますが、
この時代は本当に複雑なわけでして、こんな時代に、
ありもしない人物が強靭に描かれるというのは、要するに、
歴史の物語を誰かが作り変える必要があったと考えられるわけです。
古墳も作られ、出雲や大和とも並ぶ勢力ですから、
相当に大きな組織だったと考えられますね。
4世紀というのは、(カオスラウンジがアートのテーマの一つとした)
神功皇后の時代よりもあとで、白村江の戦いよりも前です。
ここで考えられるのは、まだ古事記側の大和が
そこまで大きくなかった頃の話だと考えられるわけですね。
したがって、大和が「税金を払いなさい」という命令に
従わない豪族がいたっておかしくないわけですよね。
それは悪ではなく、対等な立場だっただけということです。
ただ、ここで私が疑問なのは、
出雲と吉備はおそらく敗北の豪族という点においては
共通していたと思うのですが、そのあとの物語の書かれ方が大きく異なった。
これは私にとって疑問であります。
話を戻しましょう。
鬼のモデルとなった温羅についてですが、
彼は吉備の外から飛来して吉備に至り、
製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したのだそうです。
タタラですね。タタラの力で吉備の力が強くなったと推測できます。
しかし、その温羅の支配を吉備の人びとはよく思っていなかったそうで、
都へ出向いて窮状を訴えたそうです。
それで、天皇は吉備津彦命をそこに派遣した。
ここで鬼ノ城が出てきます。早速私は赴きました。
【鬼ノ城】

ここで鬼ノ城の一般的な情報を確認しましょう。
鬼ノ城は古代山城の遺跡で、国の史跡に指定されています。
古代山城というのは、飛鳥時代から奈良時代頃に、
対半島・中国の情勢に応じて西日本各地の山に築造された
複数の要塞の総称です。
663年8月の白村江の戦いでの倭軍敗北後に、
これらの城が築城されたそうです。

白村江の戦いの敗北により渡来してきたのが温羅ではないか、
と私は憶測しています。
したがって、古代吉備の古墳を作った豪族とは
異なる種族だたのではないかと。
しかしこの話は、決して史実ではありません。
ただし、温羅の城と吉備の古墳の組織は、
別物だったことは確かで、ここは分けて考えるべきだと私は考えています。
さて。地理的に半島から近い日本の土地は、
出雲地区なのに、なぜ要塞がつくられたのは、瀬戸内だったのでしょうか。
この質問を、鬼ノ城の管理をしているスタッフさんに投げかけると、
「瀬戸内の海を介して日本を攻撃してくることを想定して、
このような立地に城を立てた」との返答が帰ってきました。

鬼ノ城のスタッフさんは、そのあとも私のいくつもの質問に答えてくださり、
本当に感謝しています。
旅行一日目はここで終わり。
カオスラウンジのアートを観るための事前予習として、
まるまる1日を費やしてしまいましたw


このブログを書いた人
山本和華子
【本を出版しました】
