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京都を遊びつくすブログ

京都を遊びつくすブログです。

奈良の平城宮に行ってきました。

ここはは奈良の古都平城京の

大内裏であった場所です。

1998年に「都奈良の文化財」として

世界遺産に登録されました。

朱雀門は、外国大使を送迎したり、

人々が集まったりする、

イベントスペースだったそうです。





上の写真は、第一次大極殿。

741年まで使われていた大極殿で、

天皇の即位の儀式や元旦の朝賀などが

催された重要な場所でした。

このブログを書いた人
山本和華子

本を出版しました!


修学院離宮に行ってきました。

修学院離宮に関しては、三島由紀夫が言及しているのを

むかーし読んだことがあるのですが笑、

「行ったことないからわからんわーい!」

と思って途中で読むのを辞めてしまった記憶がありますw

さて、そんな修学院離宮ですが、

17世紀中頃に、後水尾上皇の指示により造営された離宮です。

離宮内にある各お茶屋の間には田畑が広がり、

細い松並木道が各御茶屋を結んでいます。



こんな感じで。

私はこれを見て、

「バーチャルヴィレッジだなぁ」と思いました。

風景は棚田や畑そのものなんですが、

それらが離宮という別邸内にある、という点において、

すごく人為的なものに見えてきて、

そういう意味でその道を歩くというのは、

とても不思議な体験でした。



祇園祭の山と鉾が描かれている。



鯉。

このブログを書いた人
山本和華子

二条城は、徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、

徳川慶喜の大政奉還が行われた場所です。

城全体は国の史跡に指定されています。

二の丸御殿が国宝に、

二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。

また、二条城は世界遺産にも登録されています。

二の丸御殿は手前から順に「遠侍」、「式台」、

「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」、「白書院」

と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっています。

二の丸庭園は、別名「八陣の庭」と言われており、小堀遠州の作です。

池には3つの島が浮かんでいます。

池の中央やや北よりにもっとも大きい蓬莱島があり、

その北に亀島、南に鶴島があります。

亀島は亀の形に、鶴島は鶴の形に石が組まれています。


世界が夜の祇園の夢なら


二の丸庭園。池泉回遊式庭園で、ぐるっとまわってきました。




世界が夜の祇園の夢なら




世界が夜の祇園の夢なら




二の丸御殿の玄関にある車寄の彫刻が煌びやか!


日光東照宮のようなゴテゴテ感を思い出します。


あぁ、徳川さん、こういうのホントに好きだったんだな、


ブルーノ・タウトが来日して、


ゴテゴテを再評価してくれてよかったね、と一言添えておきます。


(私はひねくれてない)


世界が夜の祇園の夢なら



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山本和華子





念願の!

桂離宮に行ってきました。

3か月前に予約して、

一人で行って参りました!!

桂駅なんてね、

桂キャンパスの男性に会いに行く以来ですよ、

降りるの。



桂離宮は、17世紀に皇族の八条宮の別邸として

創建されたものです。

桂離宮は最古の回遊式庭園として知られているそうです。

ブルーノ・タウトやヴァルター・グロピウスといった、

外国の建築家も桂離宮を、

簡素さの中に美と深い精神性を表した

建築及び庭園として高く評価したそうです。

タウトが絶賛していたことは知っていましたが、

グロピウスも見に来ていたんですね。



この写真、なんかもう、めっちゃ

コルビジエっぽいなと瞬時に思いましたw

それから一番上の写真ですが、

あれは小津安二郎風に撮影してみました笑



優雅な鳥さん。



影が美しい。

このブログを書いた人
山本和華子

仙洞御所へ行ってきました!

説明してくださる方がめちゃくちゃ面白い方で、

すっと内容が耳に入ってきました。

さて、仙洞とは本来仙人の住み処をいうそうです。

仙人とは俗世を離れて深山に隠遁することから、

退位した天皇の住まいの美称として

用いられるようになったそうです。

それで仙洞御所なんですね。




京都御苑内にある仙洞御所は、1627年に後水尾上皇のために

造営されたもので、正式名称は桜町殿というそうです。

東部に広がる池を囲む庭園は

初め小堀遠州によって築庭されたのですが、

のちに後水尾上皇の意向により大きく改造されてしまいました。

小堀遠州は、直線的な美を好んで用いましたが、

後水尾上皇は、平安貴族のような曲線的なものを好んでいたそうで、

それでかなり改造されちゃったみたいです。

小堀遠州の名前だけはすごく有名だけど、

国内に彼の意匠が残るものはほとんど残ってないそうで、

じゃあ日本人は彼の何を称えて彼の名を繰り返すのでしょうかね。





なぜかこの日、地上に亀さんがいました。

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山本和華子