王の穏やかな死、そしてエネルギーとしての再生 | 京都を遊びつくすブログ

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ああああああ。

どっから書いたらいいじゃろ。。。

うーむ。

ときは色んな意味で濃度の高い、バロック時代の話です。

ルイ14世が、死ぬまで『アルカディアの牧人たち』を持っていたことと、

ルイ16世の絵画の管理をしていたユベール・ロベールという画家が、

廃墟をよく描いていたことが、私の中でずっとひっかかっていました。

栄華を誇っていたはずの彼らが、

なぜ、死を暗示する作品の近くにいたのだろう。




<エピソード1 ルイ14世と鉄仮面の囚人>

ルイ14世は、ルイ13世の血を継いではいないという説があります。

ホントかウソかはわかりませんが、

ホントだと仮定して話を進めます。

フランスのバスティーユ牢獄に、

死ぬまで仮面を被せられていた囚人がいたそうです。

34年間。

彼の死後、彼の所有品は徹底的に破棄されたそうです。

参考にどうぞ↓

http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_7_x.html

その鉄仮面のエピソードを読み取る限り、

ルイ14世はルイ13世の血を継いでいないと推測することができます。



<エピソード2 ルイ14世と虚構の栄華>

ルイ14世は、小さい頃から太陽王として崇められ、

リュリの音楽に乗り、宮廷舞踊を踊っていたそうです。

小さい頃からもてはやされた彼が、なぜ『アルカディアの牧人たち』を

死ぬまで持っていたのだろう。

私はずっと、ルイ14世は華やかに生き、

自身の人生に満足していたものと思っていました。

しかし彼は崩御の直前、死の床に幼い王太子を呼び、

「私は多くの戦争をしたが、私の真似をしてはならない」と

訓戒したそうです。

彼の死後、民衆は老王の死を歓喜し、葬列に罵声を浴びせたそうです。

おそらく彼は、自分が民衆に嫌われていることに気付いていたでしょうね。

民衆に嫌われながらも、近しい人々からは太陽王として宮廷舞踊を踊らされ、

崇められ、疲弊していたのかもしれません。

せめて死後くらいは、

穏やかで牧歌的な田園に行きたいと、願ったのかもしれません。

自分の最期の、穏やかな終焉を願ったのかもしれません。

また、自身がブルボンの血を継いでいないということも、

もしかしたら気付いていたかもしれません。

そうであれば、

煌びやかの虚しさのようなものも、感じていたのかもしれません。



<エピソード3 ニコラ・プッサンと『平家物語』>

ニコラ・プッサンの描いた『アルカディアの牧人たち』ですが、

バロック時代に描かれたものの、

バロック特有のあのゴテゴテしさはありません。

私はその、諦めの境地のようなものに、

『平家物語』を彷彿としました。



祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もついには滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ


ブルボン家にも通じるところがありますし、

『アルカディアの牧人たち』にも通じるところが

あるように思いました。



<エピソード4 ルイ16世と廃墟>

ルイ15世は、政治に無関心で女ばかりに夢中の男だったそうです。

そのくせ投げやりに、

「倭が後に大洪水あれ」と言ったそうです。

なのでどーでもいい男です。

その後、ルイ16世が王位に継ぐわけですが、

画家ユベール・ロベールは、そのルイ16世の絵画の管理をしていました。

ユベール・ロベールは廃墟を描いたことで知られていますが、

あえてこの時代に廃墟を描いたことが、とても気になりました。

私はブルボン朝のことをあまりにも知らな過ぎたのですが、

ルイ16世は、最期まで輝かしい日々を送ったのだと思っていました。

しかし、ルイ16世が王位についたときはすでに

フランスの財政は傾いていたそうです。

その情勢を、おそらくユベールは感じていたのでしょう。

廃墟は、完成形の想像を掻き立てます。

また、永遠の輪廻の象徴だとする人もいます。

ユベールはブルボン朝の動きを間近で見ながら、

強者の輪廻を思い浮かべたのだろうと思います。

彼の廃墟の佇まいには、アルカディアのような、

諦めの色は見えません。

そこから生み出される、再生、もしくはまた何か違った

方向性に対するエネルギーのようなものが感じられます。



<エピソード5 ルイ16世の最期とロベールのその後>

ルイ16世は、ルイ15世と違って政治には積極的でした。

また、アメリカの独立にも支援していたそうです。

しかし最期は、ギロチンによって処刑されました。

実は、ロベールも死刑宣告を受けていたそうです。

しかしそれがなんと、死刑当日に人違いで、

ロベールの代わりに他の囚人がギロチンに

かけられてしまったそうです。

なんという運命!

そして死を免れたロベールはその後、

ルーブル美術館の設立に命を吹き込むこととなります。

ルーブル美術館は当時、ナポレオン美術館と言われていたように、

まぁナポレオンの略奪品によて溢れ返っていた訳ですが、

要するに、ブルボン朝のすぐ後に権威を誇ったのが

ナポレオンだったわけです。

ロベールが描いた廃墟に感じられるエネルギーは、

ナポレオンの台頭を暗示していたのかもしれません。

それはロベールの意志じゃなくってもね。



今回のブログでなんとなーくわかったことは、

世間が悪者にしたてあげている人物の、

本当の輪郭を知ることは、きっと大切なんだなと。



このブログを書いた人
山本和華子

本を出版しました!