時代祭 【京都の三大祭】 | 京都を遊びつくすブログ

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時代祭に行ってきました。

 

時代祭は、延暦から明治にいたる千年余年の文物風俗を模した行列を、

 

行ったのが始まりなのだそうです。

 

明治28年から行われているそうです。

 

時代祭は、葵祭、祇園祭とともに京都三大祭のひとつとして知られています。

 

ええ、私は今年すべてのお祭りに行ってきましたよw

 

京都大好きでございまするから。

 

御所は、自宅アパートから歩いていけますしw


時代祭は、明治維新から時代を遡って延暦時代まで至ります。

 


世界が夜の祇園の夢なら

 

維新勤王隊の列。山田かまちくらいの年齢の子がたくさんいたので、

 

私としては武将の格好をするオジサマたちよりも

 

こっちの方に萌え萌えしますたノシ

 

演奏がまた萌え。

 

なんだろう、当時の日本は、

 

ドイツ流のモチベーションアップの方法を模倣してこういう演奏とか、

 

こういうきちっとした並び方をしたのかなーと思ってみてました。


世界が夜の祇園の夢なら

 

吉野太夫とそのかむろ(禿)たち。

 

かむろがまず髪をたらしている時点で

 

将来かむろにならないじゃん!

 

って、歴女の私は思いましたw

 

また、吉野太夫も私の知ってる装束とは違うものを召していたので、

 

この時代祭の装束は、

 

どんな文献を参考にして再現したのだろう、と疑問を持ってしまいました。

 

また、

 

これは素朴な疑問として思うことなのですが、

 

「応仁の乱」ですべて資料は失ってしまった、と聞いていたので、

 

どの文献に十二単の情報が載っていたんでしょうね。

 

もし残っているのだとしたら、

 

とても重要な資料となると思うので、

 

お役所が、私の税金をその保存に投資してくれたら私はとても喜びます!


世界が夜の祇園の夢なら

 

牛車。

 

こどもたちが可愛い。


世界が夜の祇園の夢なら

 

こどもたち。

 

祇園祭のコンチキチンの音が聞こえてきたので、

 

なんだか懐かしくなりましたw

 

このこどもたちはどうやら、河童というらしいんです。

 

河童の伝説は、ヨーロッパから渡来した西欧人の

 

よほど見たことも無い様相の驚きとともに広まったと聞いていたので、

 

関係があるのか?無いのか?どうなんだろう、という疑問がついて回りました。

 

なんの役割を果たしていたんだろう、このこどもたちは。

 

神人ではなかったんだ、とか、色々思いました。

 

また、この室町時代の洛中風俗列の最後には、

 

ギロという南米の民族楽器に似た楽器を持っている人々がいて、

 

これにも驚きました。

 

私の地元、富山県の某村落の祭りにも

 

その楽器を鳴らす風習が残っているんですもん。

 

このブログにも再三書いていることですけどねw

 

だったらでは、

 

なぜ一番目立つあの「コンチキチン」の楽器は

 

富山県まで辿り着かなかったんだろう。

 

不思議なものです。

 

それと、この行列にも傘が参列してるんです。

 

日本の傘の、雨をよけるという実用的なもの意外の由来として、

 

違う系譜があるような気がするんです。

 

考えられることとして、よりしろ、があるのかと。

 

私のただの想像に過ぎませんが。

 

でも、榊をよりしろに使うという話はよく聞くのですが、

 

なぜ榊以外によりしろの形をつくる必要があったのだろうか。

 

しかも垂(たれ)がついているという、

 

世界中どこを探しても他にはなさそうなデザインよ。

 

不思議だわぁ。

 

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