オペラ「蝶々夫人」を観に行ってきました | 京都を遊びつくすブログ

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おはつ!オペラを観に行ってきました。

 

浴衣で。

 

友人と。

 

七夕の日に。

 

うまれて初めて七夕が充実しましたw

 

とってもよかったですよ♪

 

友人と、「プッチーニ、マジ日本のことわかってないから」とか突っ込みながらも

 

フィナーレでは泣きましたからねw

 

なんだろう、最後に蝶々夫人役の人が一礼すると、

 

理由もなく、なにかこみあげてくるものがありましたね。

 

蝶々夫人のあらすじは、

 

日本の開国時に

 

長崎の遊女がアメリカの軍人と恋に落ちて

 

結婚して、子どもをもうけて、って話なのですが、

 

ホントに日本人の感覚からすると突っ込むとキリが無いような演出が多かったです。

 

たとえば、芸者さんが裏声でオペラを歌っているところが

 

(まぁオペラなので仕方がない)不自然に聞こえたところとか

 

畳の上でちょこまかに走り回るところとか

 

女性の自害と男性の切腹を同じように描写してしまうところとか

 

神官の役割と神父の役割もまた同じように描写してしまうところとか

 

あれを和と洋の融合ととらえる風潮もあるかと思いますが

 

私には不自然に移ってしまいました。

 

あの、ちょうど小津安二郎監督の「秋刀魚の味」という映画に

 

「青い目をした人が三味線ひいて~」というようなセリフがあったことを覚えているのですが、

 

そのような手触りに近いかなと。

 

なんだろう、音楽だけ、とか装束だけ、とか美術だけ、とかが和洋折衷していると、

 

あぁ素敵だな、と純粋に思えるのですが、

 

これは私の個人的感覚でしかないのですが、

 

物語に和様折衷を求めようとすると、どうしても無理があるように思えたのですね。

 

娯楽として見るぶんにはいいですけれど、

 

明らかに物語に歴史的背景やイデオロギー的なものを排除することは難しい。

 

芸術って難しいなぁと思いました。

 

でも、今回の蝶々夫人、すごいなぁと思う箇所はずいぶんたくさんありました。

 

まず、「さくらさくら」のアレンジ、和音の付け方がすごくキレイだなって。

 

これは本当にプッチーニの才能が十分にわかると思います。

 

それから、アメリカの国家と日本の国家が、

 

1曲のなかに短時間にアレンジされて盛り込まれているんですね。

 

これはすごいなぁと。

 

それと、これは一番やっぱり素敵だなって思うのは、

 

プッチーニが、オペラを作る際に日本を舞台にしようとしたこと。

 

これは当時には斬新すぎていたのではと想像します。

 

ラストサムライみたいな国策に近いクソな(酷評ごめんなさい)ものとは大きく違って

 

プッチーニは、日本を「わかろう」という気持ちがあったんじゃないかと思うんですよね。

世界が夜の祇園の夢なら

 

猫のおけつ。

京都造形芸術大学にいる猫ちゃん。

「蝶々夫人」は、造形芸術大学の春秋座で行われました。


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