何もできる事はないけど、
何かできるかもしれない。
僕の人生は、
そうやって思い込む事で、
ここにたどり着いたのかもしれません。
そもそも僕の力なんて、
世界規模で考えれば、
とても小さくて、
消えても誰も気づかないかもしれない程度のもの。
それでも、
僕にはやりたい事、
やるべき事、
やらなければならない事が山積しており、
自分の一生を使っても、
それが達成できるかどうか、
疑問が残るほどいろんな事に走り回っています。
悩み多き中高生の、
メール相談もそのうちのひとつです。
僕にとっては、
『やるべき事』だと思っています。
みんな大切な事だと言ってくれるけど、
僕の周囲では、
ほとんどの大人がしない事だから、
気づいている僕がやらなければならないというのもあるんですが、
僕の使命とも思える事ですから、
やるべき事だと思っています。
中高生を集めて、
勉強したり音楽したり、
これは『やりたい事』に属します。
僕はこれがやりたかった。
僕が中高生の頃、
毎日が退屈で、
やる事がなかった。
でも近所の兄ちゃんに教えてもらった音楽が、
今やっとできる環境になった。
勉強がわからないけど、
学校の先生に聞くのは嫌だと思っていた頃、
親戚の姉ちゃんがちょっと教えてくれた。
誰に習うより頭に入ったのを覚えています。
これを現代の小僧達は知らない。
なら僕らが、
あの頃僕に教えてくれた兄ちゃん、
姉ちゃんのように、
勉強や音楽を教えれば、
きっと僕と同じように思えるはず。
あの頃の僕が欲しがったものが、
自分たちの手で作り上げられていく。
これは僕の夢とも言える、
やりたい事でした。
そして『やらなければならない事』。
僕にとってやらなければならない事は、
たった一つ。
天真爛漫に見える僕にも、
暗い過去があり、
このブログで散々紹介してきたので、
あえて書く必要もないかもしれないけど、
あえてもう一度。
僕は小学校の低学年の頃から、
中学にあがるまで、
虐待を受けて育ちました。
毎日殴られ、
素手で殴ったら自分の手も痛いので、
母親はいつからか、
棒で僕を殴りつけるようになりました。
熱湯をかけられた左の肘には、
大きな火傷の跡があります。
毎日が暗いと思っていたし、
うつむいて生きていく目には、
地面の素っ気無い暗い色しか写りません。
世の中は灰色でできていると思っていました。
中学にあがると、
僕も体格的に母親より大きくなり、
腕っ節も強くなったので、
殴る蹴るといった虐待はできません。
代わりに『放置』という虐待が始まりました。
育児放棄は虐待です。
中学生とて、
愛情を知らずして育った僕には、
過酷な日々でした。
生きるという事を、
毎日考えていました。
死んではいけない。
このまま何も喜びを知らずに死ぬのは、
負けたも同然だ。
歯を食いしばって、
黄色くなったご飯に、
無断で拝借したポテチを砕き、
ふりかけ代わりにして食べた事も、
一度ではありません。
一人で生き抜くためには、
泥水すすっても生きる気力が必要でした。
そして中学2年で一人暮らしをし、
夜の世界に飛び込み、
生きながらえてきました。
そんな僕を、
たった一人の子ども会指導員の先生が、
見捨てずに構ってくれました。
先生は夜の世界から僕を抜けさせるために、
当時お世話になっていた組事務所に乗り込み、
殴られても脅されても、
一歩も引きませんでした。
『コイツはな、
まだ人間の温かみを知らん。
あんたらに教えれるんは、
世の中の冷たさと、
杓子定規な義理人情やろ!
俺にしかコイツは救えんのや!!』
組長の胸倉をつかみ、
血まみれになった口から血を吐きながら、
先生は僕を、
夜の世界から引っ張りあげてくれました。
先生は、
無味乾燥な灰色しか写らない僕の目に、
色彩あやざかな、
色とりどりの世界を教えてくれました。
春にはキャンプ、
夏には海、
秋には紅葉狩り、
冬にはスキー。
白銀の世界を見て、
涙があふれた事を忘れられません。
なんて綺麗なんやろ…
世界ってこんなに綺麗なんやなぁ…
何をやってもすぐに投げ出しがちな僕に、
手取り足取り、
スキーを教えてくれた先生の温かい心と、
白銀の美しさは、
冷え切った僕の心を氷解させ、
人は温かいものだと教えてくれたのでした。
先生にお世話になり、
無事高校を卒業し、
福祉の専門学校に入学し、
20歳になっても、
まるで親父のように慕っていたし、
子どものように扱ってくれたのは、
今も忘れられません。
そんな先生が、
病院のベッドの上で、
ガリガリにやせ細り、
癌の告知を受けてもなお、
僕の事を気にかけてくれていたのも忘れられません。
40歳という若さで他界した先生が、
最後に僕に託した思い。
『栄一、
俺の代わりに、
地域のヤンチャな小僧達を、
見捨てずに、
構ってやってくれへんか?』
最後の頼みを、
僕は
『考えとく』
と濁してしまった。
今も思い出す度に後悔してしまいます。
どうして
『俺に任せろよ』
が言えなかったんでしょう。
言いたかったはずなのに。
そのやり取りから2日後、
先生は帰らぬ人になってしまいました。
悔しくて悔しくて、
悲しくて悲しくて、
毎日泣いて過ごしました。
放心状態の僕を、
先生の最後の言葉が奮い立たせてくれました。
『栄一、
俺の代わりに、
地域のヤンチャな小僧達を、
見捨てずに、
構ってやってくれへんか?』
ちゃんと答えれなかったあの約束、
絶対に守るんや。
僕の足は、
自然と、
コンビニ前に屯ろしている中高生に向けられ、
気がつけば声をかけていました。
『一緒に勉強せぇへんか?
俺が教えたるで』
気がつけば、
30人からの子ども達が集まり、
先生とのあの約束を、
守るための日々が過ぎていきました。
気がつけば10年。
長かったようで、
短かった10年。
そしてこれからも繰り返す約束の日々。
僕にとって、
やらなければならない事とは、
この日々を重ねていく事です。
多くの仲間達に支えられながら、
子ども達に刺激を受けながら、
毎日『使命感』だけでなく、
楽しんでこれに取り組めているのは、
きっと先生が僕のそういう部分に気づいていて、
ゆえに託した思いが好転しての事でしょう。
あの人には、
一生追いつけないし、
伍せないかもしれません。
でも、
いつかあっちの世界で会う事があれば、
僕は自信を持って言えます。
先生、
約束は守ったで。
先生の命日が近づいてきました。
僕もそろそろ、
今年の報告のための言葉を、
まとめて墓前にささげる準備をしたいと思います。