僕はどうも、
理屈がしっかりしていない事に、
アレルギーがあるようです。
根拠がない理屈が、
とにかく鼻につくんですよね。。。
例えば、
僕は僕という人物を、
一言ではまとめられない人間だと思っています。
しかし巷では、
よく
『僕は私は、
○○な人だから』
と、
まるで自己分析が終了しているような言い方をする人が多く、
人間の性格というのを、
さっぱり理解していないんだろうなと、
底の浅さを感じてしまうんですね。
きっと言った当事者は、
さほど深くない範囲で自分を決め、
自分の行動に制限を決める事で、
一味違う人間に見られたい欲求があるんじゃないかな。
つまりこれって、
見栄はってるだけですやん、
そう思ってしまうんですよね。
人間の性格というのは、
これという固定された形をしておらず、
常に流動的に、
そして感情的に動き、
場面場面、
相対する人によって、
コロコロ変わるものです。
むしろ変わらないとダメなんですよね。
例えば、
上司と話している時と、
部下と話している時では、
言葉も違えば、
まるで性格も違います。
上司の前ではできるだけ『NO』を言わないキャラが、
部下には『NO』の連発だったり、
いっちょ噛んできたりして、
性格が変わってるんですよね。
それを言うと、
『根底にあるのは同一の性格だ』
と言われます。
つまり、
それは仮面であり、
仮面の下は同じ顔だと言いたいんだと思いますが、
性格とは、
そういうものなんですよ。
仮面です、仮面。
恋人と友人でも微妙に違うはずです。
人はたくさんの仮面を持っていて当然です。
持っていないと、
社会人として、
この社会は渡っていけません。
終始一貫して、
我を通す人がいると言いますが、
その人の一部を見てそう論じるのは無理がある。
その人の趣味がぬいぐるみ作りだったらどうします?
盆栽でもいい。
キャラと違う部分、
そういう仮面も持ってるものです。
誰に対しても自己を通すのが、
まるでカッコイイことのように思われますが、
それって、
自分の扱いを一定にさせて、
楽をしたい心理から出る行動なんですよ。
僕は、
自分がこういう人間だと論じる人と出会うと、
底の浅さを感じ、
見栄っ張りなんだなと思って、
距離を取りたくなります。
ありのままでいいじゃないですか。
何をそんなに自分を作るというか、
無理な飾りをつける必要があるんですかね。
自分がどんな人間かわからない事が恥ですか?
僕なら、
『自分という人間がどういう人間か、
まだ理解できていません。
ですが、
ゆえにこれから先が楽しみです』
と言います。
理屈っぽいとよく言われますが、
それは逆です。
あなたが理屈について、
深く思慮していないだけです。
先日、
15年ぶりにソフトボールをしましたが、
僕は当日を迎えるまでに、
緊張はしましたけど、
ヒットを打てる自信がありました。
ソフトボールは、
野球のボールよりも大きく、
しかも、
草ソフトですから、
相手ピッチャーも球速が速いわけじゃない。
それを分析できていたし、
バットを素振りしてみて、
自分のバットはどれぐらいの速度で振られるかわかったので、
どのタイミングで振れば、
センターにボールが飛ぶという理屈を立てました。
実際、
5打数4安打、
5打点でした。
4安打中、
3安打がセンター前ヒットでした。
理屈をしっかり体にも通せる人間は、
自信を持って行動できるし、
想像した事を実現させる事ができる。
僕はそう信じています。
理屈を『机上の空論』と腐す人がいますが、
理屈を立てずに行動力だけを身につけて、
がさつさが浮き彫りになるよりは、
理屈をしっかり立てて、
行動をして、
結果を出す人間の方が僕は好きです。
そうなりたいんですから。
イチローはその頂点にいる人だと思います。
逆に、
野球界においてでいいですが、
机上の空論だと言って練習ばかりさせるのは、
どんな人間だか、
想像できますか?
理屈なんて難しくないですよ。
自分の心と体と頭に、
諸問題について常に問いかけて、
自分なりの答えを出す事です。
それが理屈です。
自分なりの答えでいいんです。
考えること、
感じることからしか、
理屈は育ちません。