2022.8.24 am5:30起 6:03濃霧よりおぼろ太陽

 

 

最近、レイキの独習をはじめて、創始者の臼井甕男師に霊的コンタクトをこころみております。

 

有名な五戒の教えについて自分なりに考えていて、大事なのは真ん中の文

「心配すな 感謝して 業にはけめ」だろうと思い至りました。

 

 

今日だけは:

一日を一生ととらえ、毎日を生誕と入滅と考えれば一日後悔なく生きれるのではないか?と思っていて、「今日だけは」という言葉にもシンクロするなぁとしっくりきました。「今ここ」という一瞬よりは、スケールが日常感覚でいいな、と。

 

 

怒るな、人に親切に:

怒るという感情は、外側の出来事に対する反応で外向きの意識であり、そうではなく内向き、内観せよ、と解釈しました。

最後の「人に親切に」というのも外側に対する態度なので、外向きです。

 

 

真ん中の「心配すな 感謝して 業にはけめ」というのは内向意識の問題で、

臼井甕男師の思想の根底の「安心立命」に対応している、と考えました。

 

「感謝して」というのは業、つまり生まれもって来た、ミコト・命を自覚し感謝しなさい、という風に思いました。(もちろん全てに感謝すべきですが)

 

感謝して業に励むことは、立命するという事になると思います。

身を立てる、立身出世にもなりますね。

 

心配は不安・恐れという感情で、「心配すな」は「安心しろ」、ということになります。

 

 

感謝をして一礼するとき、脊柱を立てる禮法があるのですが、禮というのは豊さを示す、と書きますので、この世に満ち溢れた賜りものを自覚して感謝する、ということだと思います。

この世の豊さを自覚し、それを業によって世に現すことが出来たとき、内側から愛が溢れ出し自分自身は満たされて、人にも親切にできる、と思うのです。

 

溢れる愛を手かざしで人に与えることもできますし。

 

 

 

今日は顕在意識で文章を書いてみました。

ひとつの自分の見方です。

 

ありがとうございました。