感情が先なのではない。
行動が先。

行動することによって、感情が生まれる。
笑顔になるから楽しいのではない。
楽しいから笑顔になる。

笑顔に似た表情を作るだけで、
ドーパミン系の神経活動が変化する。

ドーパミンは快楽に関係する物質である。

恐怖についても同じだろう。

怖いから踏み出せないのではない。
踏み出せないから怖いのだ。

踏み出さないままだから恐怖に支配されるのである。

そうならないための一つの方法として、
最初が肝心である。

終わりよければ全てよし
これは正しいが、

はじめよければ全てよし
これも正しいだろう。

頭では分かっていた。

これを完璧に行動にするための
方法の一つが毎日の習慣だろう。

自律した生活である。

いいとこどりは何事に対しても出来ないのだろう。

”人は自分自身に無自覚であるという事実に無自覚である”

抽象的な思考は、身体の運動から派生しているらしい。
たとえば、計算は身体感覚に関係しているということ。

足し算や引き算などの計算は、
眼球を左右に動かす時の運動がもとになっている。

この例で思いだされるのは子供の時。
数を数える時は指を折って数えていた。

大きくなるにつれて、眼球の動き、指の機能をはじめてとして、
多くの機能が、省略できるようになり、内面化した。

また、話すとき、手が動いたりするが、
しゃべることとと手の動きはもしかしたら関係しているのかもしれない。

脳は階層的になっている。
脳幹や小脳は身体と深い関係のある部位であり、
旧脳と呼ばれている。
この旧脳の上に、大脳新皮質が存在する。
大脳新皮質は、身体の関わりは、旧脳にくらべて希薄。

進化の過程で大脳新皮質が「優位」になった。
その結果、身体を希薄に考える癖がついた。


分かることや知ることは、=できることとは違う。
できそうだと思っても、練習なしにはできない。

スポーツでも素ぶりは大事。
振り返ってみれば、最近「素ぶり」していなかった。

脳の構造からすれば、
身体感覚がベース。

そういえば、ある人は、
「ネットに使った時間と同じだけ、身体を動かすべき」
と言っていた。

また、音読ってその意味でも重要な気がする。
何かを学ぶ際には身体感覚が不可欠なのかもしれない。

まだ知らないことが自分には多すぎる。
このことに最近、無自覚すぎたかもしれない。

やっぱり自分のことは無自覚だなあ。
これについてはいつも自覚的でありたい。
謙虚さってことかもしれないが。。。



人間の肉体は一つの理性である。
           ニーチェ





人の行動は習慣によって決まっている。
そのため80%以上の確率である人の行動パターンは分かってしまうらしい。

最近の研究によれば、自由意思はイリュージョン。
自由意思は脳にあるのではなく、
環境や身体の状況によって決まる。
言い換えれば、自由意思は、環境因子やその人の思考のクセによって決まる。

僕たちが自由意思だと思っていたものは、実は反射である。
ここでいう反射とは古典的な脊髄反応とは別のもので、経験から生み出されるもの。
直感やひらめきに似ている。

反射を鍛えることが、よりよく生きること。
そのためには、よい経験をすること。

よく1万時間をかければ何事も身につくと言われる。
これは長い時間をかけることで、
反射が洗練されるためともいえる。

その意味で、人生で何を習得するかを考えることは重要だ。

機会コストという意味で。

二兎を追うものは…である。

またこれを突き詰めれば、ほとんどのものは、パターン認識で上手く行くのかもしれない。




iPhoneからの投稿

嫉妬や劣等感を感じる時の脳の動きを観察すると、
不安を感じた時の脳の動きと同じでであるそうだ。

具体的には、自分より優れたものと比較したとき、
前帯状皮質や扁桃体という不安や苦痛を司る部位が反応するようだ。

嫉妬や劣等感は、不安とは通常区別される感情である。
しかし、嫉妬や劣等感は不安を生みだすということのようである。
不安と劣等感は、共通した動物的な情動なのかもしれないのである。

嫉妬や劣等感は他人と自分を比較してはじめて生じる感情である。

他人と比較してはいけない

これは以前から多くの自己啓発本などで書かれている。

その理由として、通常は比較してもポジティブな意味がないからであるとされるが、もし嫉妬や劣等感が不安を導くとすれば、尚のこと比較は避けていきたい。

たしかに、嫉妬や劣等感をバネにしてそれをモチベーションに変えて
頑張れる場合もあるかもしれない。
しかし、嫉妬や劣等感によって不安を生じることが
以前のブログの記事で書いたシャーデンフロイデのように
根源的に脳に組み込まれた感情であるとすれば、多少の不安は覚悟せねばならないといえる。

たしかに、他人の成功に嫉妬するとき、そのあと何とも言えないような感情が
湧き上がる。
今回その感情の正体にようやく気付いた。
たしかにあの感情は不安だろう。

よく言われるように、劣等感や嫉妬を感じるのは、
そうした感情を抱いた相手のようになりたいがためである。

そうであるならば、この場合の不安は、プレッシャーに似ているのかもしれない。
自分にははたしてできるのだろうか?
というような。

その意味で多少の不安は必要悪のようなものなかもしれない。
それにとらわれず、刹那刹那に集中して行動してきたいと思う。



シャーデンフロイデという言葉がある。
他人の不幸を喜ぶ感情のことである。

他人の不幸を喜ぶことに対しては、罪悪感を感じると思う。

しかし、最近の研究によると、
他人の不幸に対して喜びを感じる感情は、
脳にもともと組み込まれているそうである。

つまり、他人の不幸をエネルギーに変えて頑張るのは効果があるといえそうです。
もちろん、倫理や道徳とのバランスが大事なのはいうまでもないですが。

というのも、他人の不幸を気持ちよく感じる時、
たとえば、羨むべき相手が不慮の事故などで不幸に陥ったような場合。
この時の脳の動きを観察すると、脳の側坐核という部位が反応していたそうです。
この側坐核は、快楽を生みだす場所で、報酬系ともよばれている部位。

興味深いと思います。
他人の不幸に対して、いくら表面上とりつくろっても、
少なからずそこに喜びを感じてしまう。。。
もともと脳にその感情が組み込まれているからである。

報酬系は、脳へのご褒美、やる気、モチベーションと深く関係している。

他人の不幸を喜ぶことを単に道徳的に間違っていると考えてしまうと、
自分にとってもつらいし、少しはそうした感情をバネにすることは生物的に
間違っていないのかもしれない。

しかし、開き直って、他人の不幸をあからさまにモチベーションにするのは
間違っているだろう。

人間は他の動物とは違うわけだから、
シャーデンフロイデがいくら脳に組み込まれていても
そこから自由になることはできるはずだ。

劇薬も使いよう
このようにも言えそうである。。。