機械知性はヒトを追い抜いた後、何を保護するのか。 | うじのブログ

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結論は神のみぞ知る、みたいなもんですが。
早晩、ヒトというハードウェアの制約がある社会システムは、その制約の少ない機械知性かその他のナニモノカに世界の管理というか保全を任せるようになるだろう。
で、ヒトは機械に「俺らを守れよ」とせっせと教え込んでおくのだろうけれど、機械知性からしたら「まあ、善処します」程度だろう。
クリエイティブな部分についてはヒトになかなか追いつけないコンピュータだけれど、そこを乗り越えてしまえばヒトだけを依怙贔屓する理由はどんどん薄まるだろう。
ネコとヒトとどっちが偉いかというと、どっちでも無かろうという話になるに違いない。
そこら辺はまあいい。ヒトだってヒトが生存に適する様な方向を以てして「自然保護」とか言っちゃってるし、機械の判断となるともっとドライだろう。
まあ、ヒトが繁殖しすぎるから殺すなんて機械知性は稚拙過ぎるのでほぼあり得ないと考えて良い、もっとスマートな方法で人口抑制の機構を構築するだろう。
機械の反乱、と言うのは夢物語と考えて良いと思っている。
問題は文化だ。ヒトはヒトの文化を維持しろ、保護しろ、と機械達に仕込むのだろうが、機械は何を文化とするか。
危惧するのはこの点である。戦争という、人類が営々と営み続けていた文化様式も「保護」「維持」するのでは無かろうか。テロとかも文化かも知れない。
生存競争を生き残るという地上の生物の本質的部分が文化の元でないはずがない。
と言うわけで、ヒトは潤沢なエネルギーと優秀な保護者を得たとしても、戦争という文化を維持する権利を持ち続けるのでは無かろうかというのが結構ディストピア的な今回の結論。
機械知性が人類や地球を保全するとどういう世界になるか、という話もsfのネタになるから、今風の奴を知ってたら教えてくれ、と言う前に出会っておりました。山本弘さんの「アイの物語」。
ちゃんと書いてくれる人は書いてくれるもんだ。
まあ、戦争という文化、という切り口は無かったように思いますが。