【東日本大震災3年】宮城・石巻 渡波小 6年生、一日だけの新 | RMTDragon Quest 10のブログ

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【東日本大震災3年】宮城・石巻 渡波小 6年生、一日だけの新校舎

(1/3ページ)[東日本大震災] 卒業式の歌の練習に真剣に取り組む渡波小6年の児童たち =宮城県石巻市立渡波小の仮設校舎

卒業式の歌の練習に真剣に取り組む渡波小6年の児童たち =宮城県石巻市立渡波小の仮設校舎

 宮城県石巻市立渡波(わたのは)小学校では、津波が襲った校舎の改修がようやく17日に終わる。教師や上級生に助けられながら避難生活を送っていた当時の3年生は19日の卒業式で、懐かしの学舎(まなびや)に一日だけ戻る。3人の同級生を亡くした6年生たち。それぞれの夢と希望を胸に旅立つ。(荒船清太)

 雪の反射光を浴び、桜色に塗られた校舎が輝く,rmtssp。春の門出に合わせるように、17日に完成する渡波小の本校舎だ。

 渡波小は、津波で児童7人が亡くなった。本校舎にも津波が押し寄せたが、2階以上は無事で、被災者が寝泊まりする避難所となった。学校機能は、高台にある稲井中学校の庭に造った仮設校舎に移転。今月、ようやく元の校舎を改修して戻れることになった。

 仮設校舎に向かう登下校のバスは毎日、改修中の本校舎を通る。「本校舎の理科室がすごいんだ。学校生活に心残りはないけど、一度でいいから本校舎で授業したいよ…」。同小6年1組の杉浦岳登(がくと)君(12)は羨(うらや)む。

 津波でひしゃげたジャングルジムも新しくなった。太陽光パネルや備蓄倉庫も整備された。岳登君は自分を慰めるように言う。「でも、和式便所小さかったしな」。避難生活などを考慮し、トイレまで洋式に改修されたことは知らない。

 卒業式の日だけ、6年生は本校舎に戻れる。それまでの時間を惜しむように、仮校舎に練習に励む6年生の歌声が響いていた。

【東日本大震災3年】宮城・石巻 渡波小 6年生、一日だけの新校舎

(2/3ページ)[東日本大震災] 卒業式の歌の練習に真剣に取り組む渡波小6年の児童たち =宮城県石巻市立渡波小の仮設校舎

卒業式の歌の練習に真剣に取り組む渡波小6年の児童たち =宮城県石巻市立渡波小の仮設校舎

「忘れちゃいけない」

 3年ぶりに元の校舎に復帰する宮城県石巻市立渡波小学校は、いまも仮設住宅に住む児童が少なくない。震災を通じ、つらい記憶とともに多くの支援を受けた経験を児童の間にどう位置づけるか、教諭の試行錯誤も続いている。

 「大事な話があります」。今月6日、6年1組の担任、井上雄大教諭(45)の声が教室に響いた。11日、県内の全校は「鎮魂の日」で休みになる。いつもは笑顔の井上教諭は、眉間にしわを寄せながら言った。

 「午後2時46分だけは、どんなに遊んでいても、1分間だけ黙とうしよう」

 「え~もう忘れた~」

 そんな声が出ると、井上教諭は諭すように話した。

 「忘れちゃいけないんだ。この学年にも、そういうお友達いるでしょう?」

 6年生は3人が亡くなった。今も「そっとしてください」と学校に来られない保護者もいる。卒業式に3人をどう迎えるか、教諭たちも知恵を絞っている。

 「思い出したくないけど、忘れちゃいけないんだよなあ」。1組の武田聖(せ)海(あ)君(12)の言い方は少し不正確だ。思い出したくないのは津波。キックベースが一番強い亡くなった同級生のことは、今も話題になる。「最近やってねえなあ。戻ってきて!」。放課後、同級生のあだ名を空に叫んでみた。

【東日本大震災3年】宮城・石巻 渡波小 6年生、一日だけの新校舎

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卒業式の歌の練習に真剣に取り組む渡波小6年の児童たち =宮城県石巻市立渡波小の仮設校舎

 

「やっぱり家はいい」

 渡波小の児童は、仮設住宅から自宅への引っ越しが相次いでいる。2組の千葉和輝(かずき)君(12)は1月、石巻市内の家に引っ越した。同月25日の土曜日には久しぶりの一人部屋に友達4人を呼んだ。

 「今日は寝ないぞ」。2組の佐藤瑠亮(りゅうすけ)君(12)は、決意を固めて和輝君の家に向かった。修学旅行では寝てしまったが、今日こそ。部屋ではサッカーやゲーム三昧。なんとか午前6時まで起きて、寝た。

 「やっぱり家はいい」と和輝君。狭い仮設住宅では我慢していたが、引っ越してすぐ、図書カードで人気漫画「進撃の巨人」1~5巻をそろえた。

 

■受けた支援が夢の種

 震災から3年。井上教諭は「ようやく、震災について授業で話したりするようになった」と話す。昨年10月、東京・伊豆大島に台風26号が来た際には、「今度は君たちが何かする番じゃないか」と声をかけた。

 効果はてきめんだった。6年生は児童会を引っ張って、地域の人や両親、自分のお小遣いから2日間で6万円を集めて寄付をした。

 「震災のとき、かっこよかったから」。陸上自衛隊に入ると決めた1組の佐藤凛翔(りんと)君(12)はそう話す。「体力ないと入れないから、中学では陸上部に入る」。1組の丹野ここあさん(12)は震災のとき、食べられなかったおいしい物をパティシエになって食べさせたいと夢見る。

 「みんな震災と夢を結び付けている」。そう感じた松浦達夫校長(58)は願いを込めて何度も6年生に言った。「どんな夢でも、絶対、かなうよ」