【震災3年被災地を行く】宮城県名取市 復興の救世主?「日本一 | RMTDragon Quest 10のブログ

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【震災3年被災地を行く】宮城県名取市 復興の救世主?「日本一の赤貝」

休漁で人けのなくなった閖上港。漁船の後方では堤防工事のつち音が響いていた=6日、宮城県名取市

休漁で人けのなくなった閖上港。漁船の後方では堤防工事のつち音が響いていた=6日、宮城県名取市

 国道45号から県道を経由して内陸を縦断する国道6号に。仙台市を通過して宮城県名取市に入った。

 目指すは、名取市の閖上(ゆりあげ)港。かつて100人もの漁師がいた港だが、今は船もまばら、海に戻った漁師は30人ほどだ。「後継者がいなかったり、船を買うお金がなかったりでやめた人が多い」と宮城県漁協仙南支所の相沢武美支所長代理(54)は肩を落とす。

 だが、海からの大津波で何もかもなくした港の救世主となったのは、海からの恵みだった。東京・築地のすし店などで人気の「閖上のアカガイ」。身が厚く甘みがあり、日本一と賞される。ブランド化を目指していたところを東日本大震災が襲った。

 それでも、震災の翌年には数隻が操業を再開。皮肉にも、津波であらわれた漁場は、アカガイや魚の格好のすみかとなっていた。今年1月には「閖上赤貝組合」の12隻目の船が入港した。近くの仮設市場「閖上さいかい市場」の相沢信幸会長(62)は「アカガイが皆を助けてくれた。海がある。漁ができる,rmtssp。だから生活ができる」と語る。

 粉雪が交じる強風で、6日の漁は休みになった。漁師の出雲浩行さん(49)は「天候だもの。仕方ない」と意に介さない。

 だが、相沢さんはつぶやいた。「元のようになれば言うことはないが、何十年もかかるべ。なるようにしかならねぇ」。その言葉は風任せで生きる海の男の哲学なのか、諦めか。人のいない港で、真新しい船が風に揺れていた。

    

 

 宮城県は、道丸摩耶が担当しました。