朝鮮大学校の徽章の「謎」解き
【3月7日・火曜日】
東京中高の敷地にあった、朝鮮大学校に通っていた、先輩に会いに行った。
草創期の朝鮮大学生が付けていたという徽章について話を聞きたかったからだ。
徽章については、創立60周年記念イベントを特集した、同窓会誌(47号)の冒頭に、「この徽章についての情報を集めています」と、紹介されている。実物は、四期生から提供されたが、その経緯についての記録は残されていないようだ。

先輩は、東京朝高を一九五五年に卒業した五期生。朝鮮大学校は、その翌年に創立された。
…十条の東京朝高の敷地にあった朝鮮大学の一期生です。東京朝高を卒業して、船橋にあった、「中央師範学校」に…そこは一年制、卒業すると、創立されたばかりの朝鮮大学校の二年に編入しました。政治経済学部(注・当時は政治経済学科)です。東大出の金宗会先生の講義を受けたくてです。
同窓会誌に載った、徽章の写真を見せたが、「在学中は付けていなかった」との返事だ。が、「卒業後、研究生として残ったとき、在校生が付けていた」と。先輩によると、徽章は二期生以降つけるようになったようだ。
先輩は、一九五五年に朝高を卒業し、翌年には中央師範学校を、その翌年には朝大を、そしてあくる年には研究生を、四年間、毎年「卒業」していたと、笑って話していた。
四期生が入学した年の五月、六月に小平に移転し四年制に。その四期生が自治会を開き、「朝大の正規の一期生は、四年制を卒業した我々だ」との決議を採択し、韓徳銖学長にかけあった。韓学長に「その場で却下それた」という逸話も、先輩は楽しそうに話してくれた。
徽章の「謎」解きは一歩、前進したようだ。
なお、師範学校と朝大設立の詳しい経緯について載った「師範新聞」一号(1955・7・25)と「朝鮮大学新聞」三号(1959・7・7)の日本語訳を本誌36号54~63頁に掲載している。