涙なし、東京朝高の卒業式
【3月5日・日曜日】
開始一五分前に着いた。会場の体育館の前には、胸に赤い花を付けた卒業生が入場を待っていた。娘を挟んで写真を撮っている学父母、じゃれあう卒業生、あちこちで歓声も聞こえ、華やいだ、それでいて雑多としていた。
体育館の入り口には、クラス別の大きな写真が貼り出されていた。クラスごとに「一〇〇周年に向けた勝利の…」とか、「燃えろ! 情で結ばれた三三の火種よ」とか、「…心ひとつに前進する私たちの…」とか、そんなスローガンが付されていた。
いよいよ卒業生の入場。学父母たちは二階、在校生に挟まれ、着席していく。
「民族の誇りである」との共和国教育委員会の祝電が読み上げられ、総連東京本部の趙委員長があいさつ。その後の慎校長の学事報告もそうだが、高校無償化裁判で「必ず勝利する」、「民族教育一〇〇年史」に輝かしいたたかいとして刻まれるであろうということが強調された。
ロビーにも「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会からのメッセージが貼り出されていた。
…状況は厳しさを増しています。しかし闘いの輪も確実に広がっています…皆さんと一緒に勝利を目指して闘い続ける決意を…。

慎校長は、学業と部活での成果をのべ、学校創立七〇周年の卒業生が、一〇〇周年のときには、みんなが主人公としての役割を果たすよう、「심심 당부」の言葉が残った。ラクビ―、サッカー、バスケなど、運動クラブのマネージャーの名前をあげ、称えたことはとてもよかった。
そして担任が卒業生の名前を読み上げ、卒業証書の授与である。
二班の先生は、読み上げず、卒業生の顔を見ながら名前を呼んでいた。三三人。一人抜かして、慌てて「ミアナムニダ」をしていた。担任の方が緊張しているようだ。
五クラス一七一人。声が小さい。もっと大きな声で返事をしてほしかった。
卒業生は舞台に上がり卒業証書を受け取る。リーゼントでびしっと決めた男子学生がいる。肩までくる髪を後ろで結びきりっと姿勢を正した女子は舞踊部? 李なんとかトンムが呼ばれたときは、ひときわ大きな拍手が沸いた。後で聞いたら学生会の委員長だということだ。みんな笑顔だ。
最初と最後の卒業生は、証書が読み上げられる。最後のトンムは一九八八年生まれ、21701番。創立から七〇年で、卒業生は二万名に達しているのだ。
つづいて賞状の授与。一二年間最優等と一二年間皆勤のW受賞者が四二名、一二年間最優等が三二名、一二年間皆勤が四三名。舞台には長い列ができていた。三年間最優等は一人、かえって目立った。大きな拍手が送られた。一年間最優等と一年間皆勤賞…。時折、二階席から名前を呼ぶ声。父母というより祖父母のようだ。
記念品の伝達に卒業生代表の決意表明、そして閉会宣言。式は、参加者全員で校歌を歌い終わった。
卒業公演、良かった。
合唱。…忘れまじ君と私の約束…勝利の歌を力強く歌う…愛の道…再び会おう…忘れまじ…
つづいて男子と女子の重唱。アンコール曲がよかった。そして「マンプンニョン」。合唱団を前に、舞台いっぱいに踊りの輪が広がっていた。いつみても、「元気」が沸き上がってくる。

「決意の詩」―ウリハッキョ、ここで言葉を学び、私たちの精神を育み…「勝利は代を継ぎ」、行くては遠く険しいが、私たちは心ひとつにしてこの道を力強く進む!!
「愛と誇り」、「代を継ぎ」、「一筋」という言葉が心に残った公演だった。
八〇名が朝大に、五一名が日本の大学に進学し、一五名が専門学校に、八名が社会人として新たなスタートを切る。

涙は見られなかった、晴れ晴れとした、気にさせてくれたひと時だった。卒業生の前途に栄光あれである。
*加筆して、3月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』42号に載せます。