一一日と一二日に引き続き、第二次引っ越し作業に行った。
校門の隣に立てられた「建築計画のお知らせ」を見る。「着工予定 2018年12月1日」、「完了予定2020年3月30日」…。いよいよだ。
東京チェーサムと引っ越し先の東京中高の二手に分かれての作業だ。集合時間一時間遅れで、チェーサムに着く。校舎入り口は段ボール箱などで埋まっている。
最後の校舎を、そんな感慨もあって三階まで上がる。二階の廊下には、引っ越し荷物が積まれていたが、三つの高学年の教室の隔たりも取り外され、床はピカピカに磨かれ、各種図書が置かれていた棚も空っぽ、ピアノだけがぽつんと置かれていた。


正面、六年生の教室の黒板には、「チェーサム大好き」「新しい姿で会おう」、「チェーサム永久に!」、「みんなファイト! 舞踊部ファイト!」、「byファイン、ナレ」の文字が記されていた。
その上の壁には、「チェーサムの前途に栄光あれ」という文字を囲むようにして、名前が書かれていた。新校舎が竣工するのは、かれらが卒業後だ。一人ひとりの思いがこもった、壁をぼんやり見つめた。
私も同じような体験をした。現校舎は、卒業した年の暮れに竣工したので、新校舎で学ぶことが出来なかったのだ。
二階に降り、段ボールや衣装ケースを運ぶ。ずっしりと重い。屋上の手前の楽器保管所からカヤグムなど、いくつかの民族楽器を運ぶ。重くはないが、ぶつけないよう慎重に、力がこもる。
「…中高の方にも二〇人ぐらい…朝大生が手伝いに来ているって…」
「トラック三台で…あと何往復…」
そんなやり取りが聞こえた。
校庭では二トン車に次から次に荷物が積まれていた。

そのトラックに乗せてもらって、東京中高に向かう。運転手は、チェーサムではなく、埼玉初中卒の保護者だ。
「JRの埼京線…通勤とは逆方向だから何とか…姥川橋からは…」、「光が丘からだと練馬まで出て、そこから池袋に…」
最大の心配事は通学路のことのようだ。
荷物を下ろすと、校長のてきぱきとして指示に従い仮校舎に上げる。
荷物ごとに「二階」とか、「三階校長室」だとか、「屋上」と書かれている。中には体育館の地下というのもある。
仮校舎は三階なのに「二階?」、持って二階に行くと、使われていない男子トイレに保管するようだ。
人とすれ違うたびに「ケンチャンスムニカ」の声がかかる。よほど、頼りなさそうに見えるようだ。「屋上」と書かれた荷物を持つ。軽くはない。仮校舎の三階の上だと思ったら、校舎は四階建て、屋上は、もう一階上がらなくてはならない。一階ごとに階段の手すりに荷物を置いて一休み、確かに「ふがいない」。
ホースで頭から水をかぶっていた朝大生が一言。「水でなく…お湯だ」。確かに暑い。メダカが入った容器に手を入れると、生ぬるい。ペットボトルのお茶もだ。

オモニ会の四人は、仮校舎のチェーサム児童専用の入り口が暗い、殺風景だと言って、色とりどりの大きな紙の輪をつなげて飾っていた。八月五日に催したチェサミ・フェスティバルの時、校舎の入り口の飾り物をアレンジしながら息の合った作業をしていた。

そんな姿を見ながら、「早退」した。
*加筆して、9月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』51号に掲載します。